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1998年12月 5日 00:06

グウタラ者が何故4年間もジョギングを続ける事ができたのか

 大学に入ってからやろうと思っていた幾つかの事の一つとして、ジョギングを定期的にするということがあった。せっかく大学に入って自由な時間もたくさんできるというのに、なんでわざわざ地味で疲れるジョギングなんぞやるのかと自分でもよく思うのだが、とにかくその時(というのは大学入学を控えた3月くらいだったと記憶している)は、強く望んでいた。
 宅浪時代にも暇を見つけてちょぼちょぼと走ったりしていたが、季節が冬を迎えると、雪が降り積もってしまったため当然走ることなどできず、また受験シーズンに突入したこともあって、僕は冬眠中の熊の如く自分の巣窟に篭り、勉強(または作曲、演奏、読書等々)に精を出すようになった。僕は元々食欲旺盛な方だったから、そんな冬眠生活が体重激増という作用をもたらすことを察するのは田舎の夜空で北極星を見つけるよりも簡単だった。そんな訳で、宅浪時代に終止符を打つ頃には、見事に太った。周りには呆れられ、僕自身も鏡を見る度に唖然とした。だから、ジョギングを始めようと思った理由には、ダイエットという事ももちろんあったと思う。でも、それだけなら、今現在も僕が走りつづける必要はまったくない。だって、体重の方はとっくに元に戻り、今ではかつての僕を遥かに凌駕する身体を得たのだから。
 理由はもっと色々あったような気もする。いや、あるいは全くないのかもしれない。

 今ではもう何だかよくわからないまま、走るという習慣だけがエスカレートしてしまった感がある。

 今でこそ、黙々と走れるようになったけど、最初の頃はそりゃ情けないもんだった。「ふごー、ふごー」という呼吸をしながら走る姿はスクラップ寸前の機関車のようで、足の筋肉はすぐに軟弱な悲鳴を上げて、しまいにゃ突然ギブアップして、主人に路上で不思議な踊りをさせることになる。まじな話、筋肉をおかしくして飛びあがってしまったことが何回かある。そういうのって自分の力不足とはいえ、口惜しい。
 そういえば、ジョギングにしても、キツイ仕事にしても、それに没頭しているとその時だけは辛い事とか頭から消えていません?よく考えるとそれも走り続ける理由のひとつなのかもしれない。辛かったり、悲しかったり、しかも、気持ちのやり場がない場合、「走るしかね--べ」ってことになってしまう。情けないけど。でも、最近、走ることに慣れちゃって、大して疲れないから、走りながら考え込んでしまったり。
 それはともかく、走ることは慣れるとそれなりに楽しいですよ。

 でも、何で4年間も続いたんだろ?ひま人だからかな。これは僕の宿題にしておこう。てな訳で、結局題に対する答えは出ませんでしたっ。そのうち加筆します。

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