ようこそ。ここは写真や音楽、デザインの小話を細々とアップし続けている個人サイトです。東京勤務、湘南在住の道産子がお届けします。
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1999年1月16日

悪寒

どうやら久々に風邪を引いたらしい。昨日(というか今日未明だけど)寝るとき、既に体の調子がおかしく、「こりゃ風邪をひくなぁ」と予感し、出来るだけ暖かくして布団に入った。寝ている間も、苦しくて何度か目を覚まし、起きたときには立派に風邪をひいていた。

それでも今日は少年法の講義があるため、一応学校には行った。行ったは良いが、ただ座っているだけでも血の気が引くような感じがして辛かったので、情けないが、顔を机に俯して講義を聞くことにした。これって、傍目にはただ単に寝ているようにしか見えない。悲しい。

ところで、そういえば今日(と明日)はセンター試験が行われる。うちの大学(の新町校舎。今日授業を受けるのは今出川校舎です)も試験会場になっていて、門にでかでかと案内板が出ていた。

もし、よりによって今日、風邪を引いてしまった受験生がいたとしたら本当にかわいそうだな、と思った。風邪をひいているときに、テスト問題に取り組むということがどれだけ辛いことかは、僕も経験上知っている。脳が燃えるのだ。受験生の皆さん、頑張って下さい。大学受験という、熾烈な(そしてくだらない)ハードルなんか、飛び越えちゃって早く自分が本当にやりたいことをやれる状況に突入して下さい。(でも、たしかに大学受験はつまらない競争だと思うけど、それでも頑張ればその分だけ、何か貴重なものが得られると思うよ)

1999年1月22日

学校がよい

4年生(関西風に言うと4回生)は授業も殆どないから、今、学校には行きたい時間に適当に行っている。超重役出勤ってヤツだ。

ところが最近、重役出勤をかますと、図書館やラウンジの席を確保することが難しくなってきた事に気付いた。後期試験前なので学校には学生が溢れているのだ。こいつら普段は何処にいるんだ?と思ってしまう。席にありつくためには、朝早くに登校する必要がある。となると、必然的に今の夜型生活を改めなくてはならなくなる。むむぅ。

それはそうと、学校に行くと、いろんなタイプの学生がいるのだな、と改めて思う。特に女の子はくっきり3つに分かれている。可愛い系、カッコイイ系、それとお水系。イヤ、「ホントにこいつは学生か?」って格好をしている人、いるんですって。僕は昔は可愛い系が好きだったけど、最近は結構かっこいい人のかっこいいアティテュードにひかれる傾向があるかな…って暴露しても仕方ないが。お水系は苦手。

ああ、もうちょっとで学校通いも終わっちゃうんだよな。4年間は長かったような気もするし、あっという間だったとも思える。僕の中でこの4年はホントに特別な時代になった。でも、もうちょっと肩の力を抜いて、「普通の大学生」をやってみてもよかったかな、と今にして思わなくもない。でも仕方ない。その時は僕なりにいろいろな想いを抱えていたのだ。

1999年1月30日

SAD BUT TRUE

やってしまった。寝坊による試験欠席。

ただでさえ夜型生活を送っているのに、最近は卒論制作作業という混沌とした状況の中で時間の概念が既に消滅してしまっている。今日は11時から試験があるので早めに寝ようと思ったのだけど、体は僕の意志に従わない。夜の闇は僕を虚しい妄想の世界に誘うのだ。結局寝たのは7時過ぎで、9時に一応目覚ましをセットしておいたのだけど、起きたのは10時。

起きたときは、正直、そんなに焦らなかった。急いでいけば十分間に合う時間だったからだ。擦り切れそうな速さで歯を磨き、そこら辺に散らばっている服に適当に手を伸ばし、着る。

なんとか11時ちょっと前に大学に到着。しかし受験教室を調べようと掲示板を見たとき、僕は愕然とした。試験開始時刻、10時50分。

実は卒業に必要な単位は全て取得してしまっているから、単位的には問題はない。だけど、一応授業に出席して、それなりにためになることも聞いたりして、「よし、この講義の試験は受けるか」と僕は決めていた。決めていたのに、僕の自堕落な生活が受験を不可能にした。つまり、僕は僕自身に対して腹が立っているし、自己嫌悪にも陥っている。でも、鏡に映る、救いようのない男は僕自身なのだ。悲しいけどこれが現実。

筆記用具しか持ってきていないし、学校に残っていても仕方がないので、撤退する。しかし、京阪三条で途中下車。今、ちょっと探している本があるのだ。三条から四条へと徐々に南下して、駸々堂やら丸善やらいろいろな本屋をまわる。捜し物は見つからなかったけど、立ち読みをしているうちに、少しだけ心の中の暗雲が風に流されて消えた。

本屋巡りの最終地点は河原町OPA。最上階(だったと思う。何階だったかは忘れちゃった)にはちゃんとした大きな本屋さんがあるのだけど、その一階下に本をはじめ、CDや雑貨、お菓子まで売っている雑貨屋のような店があり、ここは僕のお気に入りだ。ここには、かなりレアな本が密かに置いてあったりして、例えば好きな作家の入手しにくい本や関連本なんかが、本棚の片隅においてあったりする。かなりマニア心をくすぐられる。ここでも捜し物は見つからなかったけど、かわりにいろいろ欲しい本が見つかった。全部買うわけには行かないので、二冊ほど購入。この時点でかなり暗雲は吹き飛ばされた。

夕方に再び大学に登校。今度はノートPCをはじめとする完全武装。ただ、論文を書く気にはいまいちなれなかったので(そういう時ってたまにある)、そっちの方は帰宅してから取りかかることにして、学校ではメールの返事を書いたり、家頁の更新作業をしたりしてゆっくりと過ごす。購買部で缶コーヒーとサンドウィッチを買った。コーヒーを啜り、サンドウィッチを食べながら、家頁の読者のみんなからもらった感想メールや私信などを読んでいると、心が和んできた。雨上がりに顔を覗かせる、雲の隙間の青空を見ているような、不思議に晴れやかな気持ちだった。

1999年2月 3日

それから

今日の夜は、信じられんくらい轟々と雪が降ってきて大変でした。

卒論完成。これで大学生活、特に学業については形式的に一区切り着いたって事になるのかな。大学生活もこれでおしまい!…とか言って、引っ越しするまでは間違いなく学校に通い詰めると思うけど。後の2ヶ月は…別にいつもと変わらない生活をしていると思う。強いて言えば、暇な時間を利用して猛烈に家頁を進化させたい。

そういえば、全く話は変わるのだけど、昨日友人と久しぶりにラーメン屋でラーメンを食べた。実は、僕は京都では殆どラーメン屋さんに入ったことがない。カレー屋とか他の料理店は足繁く通ったりしているところもあるけど、ラーメン屋だけは友人に誘われたときくらいにしかまず行くことはない。どうしてかというと、やっぱり地元・旭川で食べていたラーメンとは全然別種の食べ物に思えるからだ。京都で食べるラーメンは、別に不味くはないのだけど、麺の食感やスープの味がどうもぴんとこないのだ。美味しい店を知らないだけなんだろうか?

勝手気ままに暮らす僕も、四月からは一応社会に飛び出すことになっている。今よりは自分の時間を持ちにくくなると思うけど、頑張って家頁を更新していきたい。そのためには、もうちょっと時間の使い方が上手にならないといけないのだが。ネットをさすらっていると、社会人の方が作った、すっごくクールで充実したコンテンツの家頁に沢山出会う。そういうサイトを見つけると、なんだかとても嬉しくなる。勿論サイト自体のクールさに感動したからでもあるのだけど、「遊び心のある社会人ってかっこいいな」と思ったから嬉しくなるのだと思う。

さて、いよいよ学生生活もこれでおしまい。それからの僕は一体どうなっていくのかな?勿論、根幹の部分は変わることはないと思うけど、なんせ自分を取り囲む環境ががらっと一変するのだから、例えば夜型生活を直すとか、主に生活スタイルの面で変更を迫られる部分が沢山あると思う。僕はだらしがないから。

〜たとえ何気ない日々の出来事でも、家頁に綴り続けていこうと思います。後から振り返った時に、そういう文章って本人にとっては結構こっぱずかしく、また面白く読むことができるから。他人にとってはたぶん限りなくつまらない文章だと思うけど、できるだけ頻繁にアップするので読んでみてほしいです。BIRDS'-EYEは、まあ見ての通り地味で気の抜けた風体をさらしているけど、頑張ってより良い(目指すはシンプルandク〜ル!)家頁にしていくので、僕とBIRD'S-EYEに長くお付き合いいただければ感謝感激雨あられです!〜

ところで、話はまたおもいっきり変わるのだけど、照り焼きビーフバーガー味のカップラーメン(明星…商品名忘れてしまった)とやらを食べました。フライドポテトが具として入っていた。これってハンバーガーを構成してる食べ物ではないと思うのだけど…細かいつっこみ。まあ、そんなに悪くはなかったです。

1999年2月 7日

乙女

いつもは昼過ぎにやることにしているのだけど、今日は久々に早朝ジョギングをする。早朝と言っても7時半だけど。日曜の朝だから人もいないだろうと言うことで、コースもいつもの鴨川沿いから五条通〜東大路〜女坂〜鴨川ルートにする。女坂っていうのは京阪7条駅から京女に向かって続くなだらかな坂のことです。

冬の朝はあまりに寒すぎて体が猛烈に冷えるものの、人気のない道をてくてく走っていると気持ちがいい。でも女坂の辺りへ差し掛かったところで、凄い光景を目にしてしまった。歩道をびっしりと埋め尽くす女子学生だ。制服を着ていたからおそらく中学生だろうとは思う。高校生ではないと思う。だって、スカートが短くないから。で、その女子学生の半分くらいは父母同伴。何なんだ?今日は日曜だってのに何かあるのだろうか?入試か?頑張れよー、とあれこれ思案しながら走っていたのだが、やがてもっと切迫した問題に気付いた。僕はその乙女の群に突進しなくてはならないのだ。

引き返すという手もあるが、挙動不審の怪しい者と思われそうで怖い(自意識過剰です)。仕方がないので、堂々とく〜るに突き進むことにする。余計なことは何も考えない。で、突き進んだのはいいが、誰も道を譲ろうとしない!!横一列に並んで歩く乙女達は親や友人達との話に夢中で、けなげに走る大猿ランナーなどお構いなしなのだ。こりゃ困った。

歩道すれすれに走るが、ぶつかるわ、足止めさせられるわで散々だった。おまけにぶつかると白い目で見られる。そりゃないよ。何故よけん!お前ら、入試(か何か)で頭がいっぱいなのは分かるが、それくらいの常識あるだろう!歩道は君たちだけのものじゃないのよ。

仕方ないので、車道の端を走る。京都で車道を走るということはドライバーに喧嘩を売るに等しい。ただでさえ狭い道に、歩行者なんか出てこられた日にはたまったものではないのだ。僕にしたってひかれたくはないので、ビクビクものである。結局最終的には道路を渡って、少しでも人の少ない向こう側の歩道へ移って大事を免れた。

乙女の皆さん、背伸びはしなくていいからせめて常識だけは身に着けて下さいね。
晃太少年(?)より

1999年2月24日

outlaw

学校ではスーツ姿の学生が目立つようになった。就職活動だ。まだ着慣れないリクルートスーツを着てうろちょろしている。頑張ってくれい。

でも、今日思わずPC利用室で隣に座っていた就活学生達の会話を聴いてしまったのだけど、ひたすら「面倒くさいよなー」を連呼していた。1〜2回だけなら照れ隠しやお約束ということで流すことが出来たのだけど、もう本当にしつこかったので気になった。そんなに面倒なら就職活動するなよ。

どうも「とりあえず乗り遅れないように〜しなきゃ」という傾向が学生にはあると思う。いや、学生だけではないだろうし、僕にだってそういう面は多分にあるのだろう。大学3年生はこれからの人生において少なからず重大な局面を迎えているのに、自分のやっていることを、たとえ冗談でも「面倒くさい」と言ってはいけないと思う。面倒くさいならさっさと就職活動をやめて、その気が起こるまで自分のやりたいことでもやっていればいい。そんなに乗り遅れることが怖いのだろうか?

…スーツの色は紺色、靴下は濃色系以外はタブー、レジメンタル・タイ、清潔な髪型、爽やかな作り笑顔…。うんざりだ。別に奇抜な格好をしろとは言わないけど、もっと自分にあったスタイルを模索しても良いんじゃないかと思う。

つい怖い口調になってしまった。でも、僕が常々思っていることなのです。そんなに決められた道から外れることが怖いのかなって。特に男子学生にその傾向は強いような気がする。世間体だとかステータスだとかそんなことばかり考えて生きているんじゃないだろうか、と。

1999年2月28日

ラストフライト

こんばんは(またはこんにちは、おはよう)、西川です。今は2月27日の午後7時前で、ミスドで買ってきたドーナツを頬張りながらこれを書いています。ドーナツで好きなのは、オールドファッション系、フレンチ系そしてマフィン系ですね(こんなこと表明したところで皆さんには何の得にもならなくて申し訳ないのだけど、まあ)。ドーナツ食いながらこうしてだらだらと戯言吐いてるのは幸せですねぇ。

***

さて、近況報告。先日、4月から入社することになっている会社から宅配便が送られてきました。「導入研修用事前配布教材」と書かれた入れ物を開けると、何やら分厚いテキストやら本やらがごそっと出てきました。ちょっと唖然としましたね、「何じゃこりゃ」って。凄く専門的・技術的な内容で僕のような文系学生の脳味噌にはやや辛いものがあるかも。まあある意味趣味が高じて入ったような所でもあるので、非常に楽しみでもあるのだけど、こりゃ正直言って大学受験生の夏期講習のノリだなぁ。3月はこれと引越でかなり潰れそうだ。

そして今週僕はちょっと旅に出ようと思います。全く予定というものを決めていないので(僕は予定に追われる生活があまり好きではない)、どうなることか楽しみです。電話線がある限り旅先からもネットに繋ぐので、リアルタイムな旅の報告もするし、カキコのレスもつけます。本当は今日から延々遠いところまで行きたかったのでけど、よく考えてみると今日と3日に大学でちょっと外せない用事(卒業認定の可否と保険センター)があるのを思いっ切り忘れていたので(おいおい…)、とりあえず3日までは日帰り旅行をします。追々報告します。とりあえず、この1ヶ月、俺は遊牧民になるぞー。

ところで、僕はいわゆる観光名所と言うところにはそれほど興味はなく、ただ知らない街をあてもなく彷徨うことが好きです。

***

今は2月28日深夜。コーヒーを飲みながら、PCと睨めっこしてます。今日はとりあえず読んでない本や聴いてないCDなんかを段ボールの中にしまいました。

あと一ヶ月で社会人か。なんかあまり実感無いけど淡々と自分の力を発揮するだけですなぁ。仕事中は職務をばっちりこなしたいけど、プライベートな時間にまで仕事を持ち込むことはあまりしたくない。まあ、現実的にはそうせざるを得ないときも多々あるのだと思うけど、要は僕は仕事一色・仕事しかない、というような人間にはなりたくないということです。

***

自分の中で今まで大小さまざまな「戦い」の場がありました。例えば、大学受験と宅浪生活、恋、就職活動などなど、それなりに自分と向き合う必要がある機会のことです。

僕は高校までは、そのような戦いの場から逃げていたように思います。結局自分と向き合うことを恐れていたということでしょう。宅浪時代からは自分の力を信じ、最善を尽くして「戦う」事を自分自身に対して誓いました。そして、実際、今現在までは自信を持って挑み、また「ちょっと上手く行き過ぎなんじゃないか?」と思うくらい、良い結果を残せています。僕は昔のだらしない自分を知っているもんだから、その頃からしたらそりゃもうとんでもない結果を叩き出しているわけで、ちょっと自分でも怖いですね。今の破壊力も自分が宅浪時代に築き上げた力なのだから嬉しいのだけど、訳の分からない情熱に満ちていた高校までの僕ももちろん凄く好きなので、そのスピリットを忘れないようにしたいです。

高校の頃は、某F原先生から「馬鹿」呼ばわりされていて(ジョークではなく本気で彼は言っていた。うちの高校の先生の半分くらいは学業成績で生徒を差別的に扱っていた面があると思う。別にどうでもいいけど)、それなりに傷ついたりもしたのだけど、今となっては懐かしくさえあります。今では点数上の結果だけで先生や周りから「優秀」との表層的評価を受けてしまうのだけど、それはそれでちょっと寂しい気もしますね。だってホントは馬鹿でエッチな大猿なんだから。全然優秀なんかじゃない。そんな数字上の結果なんかよりももっと僕自身を見て欲しいな、とよく思います。

***

ラストフライト。
大学4年の春から夏にかけての就職活動、これが宅浪時代から今に至る僕の集大成となる「最後の戦い」になると思っていました。で、思っていたのは良いけど、これがまたあっけなく終わってしまった。拍子抜けするくらいに。たしかに僕は自分に傲慢なくらいの自信を持って就職活動に挑んでいたのだけど、もうちょっと僕を打ちのめしてほしかったので、ちょっと拍子抜けしてしまったのです。

まあいずれにせよ、ラストフライトは終わってしまい、それからの僕はもう一つの集大成である「家頁(ホームページ)作成」に向けて、夏休みの2ヶ月間、PCを買うためにバイトをしたり(殆ど正社員並に働いた)、作り方を勉強したりと頑張る一方で、大学の方は隠居生活に入りました。

んで、新たなフライトはあるのか?
これはもう僕の気持ちのあり方次第。

幸いにして、今のところ、「いろんな風景を見たい」という宅浪時代からの想いは消えていないみたいなので、まだまだ心の放浪は続きそうです。

1999年3月 5日

さすらいのひとり旅:西を目指して

1999年3月5日~8日、卒業旅行

3月5日:京都から広島へ

 旅をするのに深い理由なんて要らない。見たことのない風景を見たいから、行ったことのない土地に行きたいから、たださすらいたいから、旅をする。たしかに僕はもうすぐ大学を卒業するし、去年の晩秋には恋人に振られもした。でも卒業旅行でも傷心旅行でもない、これはただの「ひとり旅」だ。
 「西に行こう」。心の赴くまま、僕はしばらくの間さすらうことにした。空が悲しそうな灰色をしていた。雨が今にも降り出しそうだった。 

 「青春18切符」という学生にとってはとてもありがたい切符がある。これは普通列車なら日本中の旅客鉄道全線が乗り放題になるというものだ。11500円。1日乗り放題を1回とカウントして全5回分。例えば一人旅なら5日間の放浪の旅が楽しめるし、2人連れだったら2日旅して1回あまる。5人グループなら日帰り旅行。こういう塩梅だ。何時間も鈍行に乗り続けるのは尻が痛くなるし、車窓から見える風景にもいい加減見飽きてくるし、時に会社や学校に向かう人達の塊にぶつかったりするしであまりろくな事がないが、まあ鈍行には鈍行の良さもある、はずだ。

 「青春18」を使って、自由気ままな旅をする。持ち物は、数日分の着替えと、文庫本とMD、そしてこの秋からの相棒であるノートパソコン。パソコンはもちろんこの一台しか持っていない。何故はじめからノートを買ったのかというと、もちろん一緒に放浪するためである。これから先も僕はいろんな所をぶらりと旅するだろう。そんなとき、旅の想いを素早く真空パックするためにこのノートを買ったのだ。僕はモバイラーと呼ばれるほどかっこいい御身分では全然ない。テレビCMがたれ流す、あのクールでスタイリッシュなモバイラー、あんな風にはなれないだろうし、別になりたくもない。僕はどっちかというと「いもバイラー」だ。
 その日その日行きたいところまで行き、降りたいところで降りる。だから幾度となく途中下車した。効率の点から言えば恐ろしく悪いには違いないが、時間に追われているわけでもないし、誰かとの約束もあるわけではない。予定は未定だ。実は今朝まで何処に行くかまったく決めていなかった。僕は元々予定に縛られるのが好きではないのだけど、それにしても今回は極端だ。

 まずは大阪を経由して姫路に向かった。京都駅の改札内のベーカリーショップでパンを3個ほど買う。あいにく大阪辺りまで車内はとても混雑していてやむなく僕は立つことになったのだが、はっきり言って半端じゃなく腹が減っていたので、さっき買ったパンを立ちながらむしゃむしゃ食べることにした。正直あまりエレガントな行為とは言えないが、まあ欲望を沈めることは難しいのだ。買ったパンの一つに「ミルククリーム」というなのパンがあったのだが、これがとんでもなく美味しかった。店では何気なくこれを選んで買ったのだけど、食べてみて「当たりだ」と思った。まずクリームが従来のクリームパンとは一線を画する、というよりもその常識を覆す。こんなクリームパンを僕は初めて食べた。この旨さを言葉で説明し伝えることは相当困難だと思うのだけど、普通のクリームでもなく、カスタードでもない、懐かしの「練乳」っぽい味とでも言おうか。それでいてくどくない。そういう感じだ。ああ、京都に帰ったらまた買いに行こう。
 ところで立ちながらばくばくパンを食べ、缶コーヒーを飲んでいたせいか、大阪辺りで早くも具合が悪くなってきた。酔う1歩手前のあの辛い感じだ。はたしてこんな状態で遥か西まで辿り着けるんだろうか?まあ行くしかない。

 京都、大阪そして神戸の手前にかけてはまさに景観のカオスだ。車窓の外は、あらゆる建物が息苦しそうにひしめき合っている。人一人入れるかどうかと言う隙間しかない家々。平地から山肌から至る所に建物がびっしりと建ち並ぶ姿。工場の煙突から吐き出される濁った息は空を悲しい色に染めている。

 姫路から上郡(かみごおり)へ行く。
 上郡。はっきり言ってしまえば全く知らなかったし、もしここを訪れることがなかったらこれからも僕は全く知ることなく一生を終えただろう。そういう場所だ。でも連絡待ちのために30分ほど時間を潰すこととなったホームで、僕は飽きることなく眼前に広がる風景を眺めていた。風景といっても何もない。少し傾斜のきつい山、どことなく懐かしい趣のある学校の校舎とグラウンド。今通ってきた道とこれから行く道には線路が細々と連なっている。でも、昔の人は皆こういう平和な世界でのどかに暮らしていたのだ。細胞分裂的に増殖する家々に覆われた現代の大地を、昔の人達には想像できただろうか?豊かであるが故に飢え、肥大化するが故に病んでいる現代人を。

 上郡に着くまで、僕は鈍行の中で何もせずに、ただ車窓から見える風景をぼーっと眺めていた。そうしていたかったのだ。本も読まなかったし、音楽も聴かなかった。

 上郡から岡山。そしてすぐさま広島行きの列車に飛び乗る。
 岡山を超えた辺りからのどかな田舎風景が広がるようになった。個人的に思ったのは、「山の形が僕の故郷とは全然違うな」ということだった。先の上郡もそうだけど、山の傾斜が総じてきつい。きついけど威圧感や圧迫感はない。「まんが・日本昔話」に出てくる、あの懐かしい山だ。

 7時15分頃、広島到着。列車を降りる時、僕は少しばかり興奮していた。実は広島は奥田民生が生まれ、そして育った街だ。そして奥田民生の大ファンである僕にとって、広島はいつか訪ね、心ゆくまで歩き回ってみたい街だった。そして今、まさにその夢が実現しようとしている。(続く)


p.s.
次はいよいよ広島編です!ハロー白島(跡)・広島市民球場・中国飯店(略して中飯)・皆実高校・宝塚映画館前の時計台・おにぎり屋むさし等々...これらの名前にピンときた人、あなたも相当な奥田民生ファンですねぇ。

1999年3月 6日

さすらいのひとり旅:原爆ドーム修理中

1999年3月5日~8日、卒業旅行

3月6日:原爆ドーム修理中

 5日の夜は結局近くのコンビニで買ってきたおにぎりとパンで簡単に済ませた。5日の夜9時くらいに駅前をぶらぶらした時に、半分屋台のような古びたラーメンやさんを見つけ、店前のテーブルにはジョッキビールをごくごく美味しそうに飲みながらラーメンを食べている二人の女の子がいた。それはそれは本当に美味しそうな食べ方で(ラーメンが美味しそうというよりもその食べ方がうまそうなのでラーメンもうまそうだ、という感じ)、「町を散策したらここで絶対食べよう」とその時は固く誓ったのだけど、一日の疲労がどっと押し寄せてきて、結局前述の通りの悲しい一人飯となってしまったのだ。

 翌朝は割と早くに目が覚めた(といっても7時くらいだけど)。さっとシャワーを浴びて身支度を整え、駅前のおんぼろビジネスホテルを足早に去る。このホテルなのだが、昨日広島駅に着いた時に、急いで手配したのは良いのだけど、とにかくぼろい宿だった。今回の旅は本当に思いつくまま流離おうと決めていたので、予定なんてものは何一つ立てていなくて、夜が更けて、もうこれ以上進めないという状態になったところで鈍行列車を降りることにしていたのだ。それで、宿もまるでくじ引きをしているかのような具合に、見事に当たりはずれがあった。それはともかく、市電乗り場で一日乗り放題の券を購入し、乗り込んだ。昨日のどんより雲が嘘みたいに、広島の空は晴れ渡っていた。

 八丁堀で市電を降り、平和記念公園へ向かう。
 原爆ドームは、僕が公園にひょいと入ると、すぐにその姿を見せてくれた。僕の勝手な想像で「ドーム」はもっと入り組んだ所にあると思い込んでいたので、正直「あり?」という感じだ。でもすぐ見ることが出来たのだから感謝しなければ。

1999年3月17日

頼み

母親がはるばる北国からやって来た。20日にある卒業式を見るためである。僕は極端なくらい式典というものを重んじない傾向があるのだけど(冷笑的ですらある)、それは人それぞれ。

この春からは就職のため、4年ぶりに北海道に戻る。

そこで、ついでに引っ越しの荷造りや部屋掃除を手伝ってもらう。いやもうこれに関しては本当にありがたかった。僕は整理整頓というものが破滅的に苦手なたちで、一方母は異様なまでに極めている。迅速で、システマチック。親子でこうも違うとは。

2年前の京都府京田辺市から京都市東山への引っ越しは、梱包から荷造りから全て自力でやった。2月から3月にかけてどうも落ち着かない日々だったことを覚えている。あれこれ考え悩む不毛な日々だった。

今回も8割方は自分で手配や作業をしていたのだけど、今日一日だけで猛烈な勢いで作業が進んだ。恐るべし、親。

引っ越しにしても何にしても、今まで自分だけで全てを背負い込み、頑張りすぎてきたような気がする。もうそろそろみんなの力に甘えさせてもらう生き方も必要かな、と思いはじめている。チームワークというヤツ。

1999年3月22日

もうすぐ就職

この春から、僕はくそでかい組織の中で、自分がどれだけやっていけるのか、挑戦する生活に入ります。

僕はわりと打たれ強い、というか鈍い性格なのだけど、疲れ切ったり、辛くなったりすることはやっぱり沢山あるでしょう。しかも僕はそういうもやもやを自分の中にため込んでしまう癖があるので(昔の彼女にもよく言われたな)、そこがちょっと不安でもある。この先の厳しい世界の中でどれだけそれを抱え込めるのかって。そんな悩み、というか愚痴とかも、このホームページにはできるだけ正直に吐き出そうと思います。

今までは知らず知らず読み手を意識して、よく見せようとしていた部分もあるかもしれない。自分の気持ちに正直には書いてきたけれど、自分の「怒り」や「悲しみ」といった感情をまだまだ出し切れていないと思うから。これからのバーズアイでは自分の「負の部分」もどんどん出していきたいな。

1999年4月25日

健康

健康は大切。

会社での研修が始まった辺りから、ずっと風邪を引き続けている。本調子ではないときに、仕事なり体を動かすことほど口惜しいことはない。いっそのこと2,3日静養し、フルパワーになってから復帰するのが一番だと思うのだけど、ハナたれ新入社員の身分ではそうも言ってられない。そんなわけでズルズルと風邪を引きずって今に至っている。

身体はボロボロだけど心は平常。かなり自然な状態で(悪く言えば新人らしくないというか)、毎日研修を受けている。表も裏もない。

最近、ユニコーーンの「すばらしい日々」が頭から離れない。元々この歌は、僕にとってはちょっと特別な歌で、あまりに昔のいろんな出来事とオーバーラップしすぎるのだ。でも、たぶん誰が聴いても、何度もじっくり聴いてくれれば、この歌は紛れもない名曲だと分かってもらえると思う。曲の構成、歌詞、イントロ、歌がすべて終わった後の、切ないコード進行…。シングル出てます。ぜひ買って聴いてください。

ともかく、そんなわけで、毎日毎日「すばらしい日々」を聴きながら通勤し、寮に帰る生活を繰り返している。でもそれだけじゃ切なくなるので、「手紙」とか「さすらい」とかも聴いてますよ。

心は健康。今の生活にそんなに不満はない。ただ、たまにいろんな事を思い出すだけ。そんな時はギターを弾きながら歌を歌う…ことは今の寮生活では不可能なので、悶々とした日々を過ごしているのだけど。

GWは歌を歌おう!

1999年7月18日

attitude 1995

忘れかけていた気持ちに気付いた。attitude、俺が俺らしく生きぬいていけるための、走りぬく強さ、戦う気持ち、耐え抜く心。そんなもの。

1995年の春、傷つきボロボロになった心と一緒に俺は京都という地に辿り着いた。それでも、俺は生きる事を決め、前に進もうとし、泥濘の中を歩くような時を過ごした。世の中に転がっている様々な事象から何かを学び取ろうとし、世界を自分なりの方法で強く生きている人々からは元気を分けてもらった。

あの頃、とても悲しかった。でも、悲しかったからこそ、なんとか頑張れた、のかもしれない。

そんな昔の俺と、対峙した。

1999年7月25日

夕食を誰かと食べる、ということ

今日は女性の友人と一緒に別の友人のライブを見に行ってきた。どちらも旧友でとてもとても懐かしい思いで胸がいっぱいだった。


僕も含めてみんな痩せたりストレートヘアになったりと微妙な変化はあれど、基本的な部分は不変でそれがなんだか嬉しかった。もちろん、数年の間に皆それぞれの想いを抱えて苦しかったり辛かったりヘヴィな歳月を過ごしてきたはずだけど。

ライブ終了後は、一緒の友達と夕食プラス酒少々。こちらもとても楽しい一時。ただ僕は楽しい状態にいる自分をうまく表現できない不器用な人なので、相手にそのことが伝わっているのかどうかはわからない。せっかく札幌生活続投が決まったのだから、これからもちょくちょく会いたいのものだ。

1999年8月 6日

想いを話そう

仕事後、同僚と焼き肉を食べに行った。楽しかったのだけど、途中から4月当初から同じグループだった人達だけで盛り上がってしまい(いわゆるうちわネタ)、どうしようかなーまいったなーとガツガツ肉を食べているところに、小学校時代の旧友から電話がかかってきた。

彼女は今、札幌で研修を受けていると言うことで、この機会を逃すとなかなか逢う機会がない。焼き肉を食べた後すぐに逢う約束をして、電話を切った。

もの凄く久々に逢った印象は…お互いに全然変わっていない、ということだった。特に性格的に。彼女の方は外見的にもあんまり変わっていなくて若々しく見えた。一方僕はというと、とても23歳には見えない、老けて見えると言うことだった。まあ、性格も含めて小学校時代から言われてきたことだから仕方がない。

久しぶりにあって話す事はというと、まずお互いの現状、昔のこと、そして恋愛話。恋の話はやっぱり盛り上がるようだ。

「俺は今独り身だよ」と言うと、けっこう驚かれた。「面食いなんだよー。だから慎重に選んじゃうんだよー」ともいわれた。いや、これは実はけっこう当たっているかもしれない。さすが旧友。「西川だったら動けばちゃんと彼女見つかるんだからー」とエールも送られた。

そう、まさに彼女の言うとおりで、僕は全然自分から動いていない。というか、むしろそういう状態に持ち込まないように努力している節すらあるような気がする。そろそろ頑張ろうかな。動こうかな。でもな。

1999年10月31日

10月はこんな感じでした

日常生活上においては、主として仕事のために非常に忙しい日々を送っていた。でも「忙」という言葉をできれば使いたくはない。だって僕はまだ心を亡くしてはいない。残業何時間したとか、「あー忙しい」とか、僕はそんなことで自分を誇示したくはない。

そういえば、だいたい週に3回は飲んでいるなぁ。これじゃ毎日帰りが遅くなるのも当然だ。
飲みに行くのはプロジェクトの上司の方々なのだけど、先輩・上司であると同時に頼もしい友人・チームメンバーであるという、ありがたい関係なので、仕事帰りの酒は純粋な楽しみとして飲んでいる。特に予定が入っていない限りなるべく顔を出すようにしている。たまに仕事の関係で他社さんと顔合わせがてら飲んだりもするけど、それすらも楽しい。

楽しく仕事を続けていくには、たとえ20歳離れていようが、上司対部下であろうが、オープンな人間関係が大切だ、と実感している。

どの世代にもありうる傾向なのかもしれないけど、僕らは自分ら以外の世代の考え方をなかなか容易には受け入れようとしないみたいだ。確かに世代毎の考え方というのは少なからず異なるだろうけど、「違うから嫌だ」という僕らの世代にありがちな考え方は、何処まで通用するのかな、と思ってしまう。若者同士の団結は必要かもしれないけど、過度な結合は不必要な暴力性を生み出す。例えば、大して悪くない大人を、ちょっとしたきっかけで責めるようになることとか。

そんな時に色んな考え方を受け入れる寛容性は必要になるのではないだろうか。特に前の世代に対して。勿論世界にはいろんな大人がいるし、中には俗物と呼びたくなる人もいるだろう。でも、そうだな、半分くらいの人は、僕達よりも長い歳月を生き、いくつかの修羅場を乗り越えてきている筈だ。そういう人たちから僕らが受け継ぐべきことはたくさんある。

だからどっちかと言うと今の僕は、僕より年上の人たちと接している時が多いし、得るものも大きい。正直な話、同年代の人と話していると、どうも傍観者的とでも言うか、引いた感じで見てしまっている傾向がある。まあ、よく老けて見られるからな、俺。別に僕が他の人より思慮深いとか老成しているとか言うつもりは全くない。どっちかと言うと僕はむしろ世間を知らない部分があるからね。だけど、どうも若者の主張的発言に対しては、「ふむふむ」といった感じで受け止めがちである。早い話、冷たいのかな、俺。

僕自身はというと、とても地味な日々を送っております。そもそも仕事でいつも遅くなるので、数少ない楽しみであるデパート通いが全く出来なくてとても寂しい。

最近は少々いろんな事に手をつけ過ぎている感があるので、これからはむしろ絞り込みの時期だと思う。これは家頁にも言えることで、今度の大幅改装では相当トップページが変わるんじゃないかな、と思っている。

連休使ってまたこっそりと旅に出たいなぁ。