ようこそ。ここは写真や音楽、デザインの小話を細々とアップし続けている個人サイトです。東京勤務、湘南在住の道産子がお届けします。
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2000 アーカイブ

2000年1月10日

個の時代

雑誌とかを見てもミレニアムだ2000年だってうるさい。

「ミレニアムヒーロー○○○○」ってある雑誌である人物を持ち上げている特集があったけど、それってあんた意訳すると1000年に一人の逸材って事になり得るだろ。ってことはスーパーサイヤ人並のとんでもない人物じゃないか!と俺は思うのだけど。

日本人ってちょっと才能に秀でた人がいるとやたら持ち上げ、時には神格化までしちゃったりするよね。それって悪い癖だと思う。カリスマ美容師だミレニアムヒーローだ天才だ優秀だNo.1だって気安くそういう言葉を使うもんじゃない。言葉の価値が下がる。

そしてビッグネームに易々とすがったり媚を売ったりする癖もあるよね。ブランド物や高級車に盲目的に弱いのもまた然り。ああいう服とかって、着る人乗る人のシルエットとか考え方とかアイデンティティが高度に要求されるものだと思う。例えば大して世間も知らない20代前半の若造が高級車を乗りまわしても威厳など微塵も感じない。伸びきった醜い筋肉しか持たない男がアルマーニのスーツを着ても道化師にしか見えない。そういうことだ。そんな男が自ら「これアルマーニのスーツなんだぜ」と自慢でもしようものなら、蹴り飛ばしたくなる。素っ裸にして「その格好で自信を持って歩けるか」って問いただしたくなる。男がブランドの名前にすがるなんて愚の骨頂だ。はじめに自分ありき。訊かれた時だけ答えれば良い。

2000年元旦という一瞬だけを、ともすれば人は千年祭と祝いがちだ。でもこの一年は次世紀に向かう長い道のり。むしろこの月日を噛み締めて生きる事の方が、お祭り気分に浮かれて生きるより重要だと思う。

2000年3月18日

京都強行軍:踊る女

 昼過ぎ京都に着く。関西国際空港、関空特急はるか、そして京都。すべてが懐かしい。

 5時半くらいまで大学時代の友人と町をぶらぶらする。腹が減っていたのでケンタッキーフライドチキンにて食事。京都くんだりまで来てファーストフードというのも悲しいけど。

 5時50分に四条烏丸さくら銀行前でゼミの友人たちと待ち合わせ。今日の大きな行事の一つである「ゼミ同窓会」に出席するためだ。6時半から9時くらいまでとある旅館にて同窓会。同期のみんなは全国各地に散らばっているのでそれほど集まらないだろうと思っていたのだが、予想に反してほぼ全員が出席。これには驚いた。

 同窓会は泊り込みで行うとのことだったけど、せっかく京都まで来たのだからほかの友達にも会おうと思い、宴会が終わった9時過ぎの時点で退席。河原町の丸善にて友人達と待ち合わせる。

 バーに向かう。
 そこは学生時代からの行きつけで、京都の若者たちが集まる。
 店内に響き渡る音楽が、何か昔とは違うな、と思いながら酒を飲んでいた。話も聞き取れないほど大音量であるのは変わらないが、以前がどちらかといえばロック音楽が多かったのに対して、今回は踊れる曲、ダンスミュージックらしき音楽がシームレスで流れていたのだ。

 そして、やがて何人かの女性が踊り始めた。

2000年5月 9日

楽器に囲まれて

部屋で酒を食らってる西川です。
俺はそんなに自宅で酒を飲むことはないのだけど、実はついに実家から冷蔵庫とTVを持ってきて、せっかくだからと冷蔵庫にはいろんな飲料が蓄えられているわけです。で、ついつい飲んじゃったよ。

もう二つ実家から持ってきたものがあって、ひとつはおんぼろシンセサイザー「YAMAHA EOS500」。これは高校一年のときに買ったもの。いまだ現役であることに感嘆の念すら覚えるけど、シーケンサーが内蔵されていることもあって、今も俺のメインの作曲ツールなのです。ギターで作曲することはあんまりない。

もうMarshall社の超小型アンプ、その名も「コマーシャル」・・・ってこれは通称か。低音が出ないからファットでざっくりとしたサウンドはあんまり望めないけど、俺みたいに外でがんがん弾く人にとってはかなり使い勝手良し。

まだまだ実家には俺の愛用品がいろいろ置きっぱなしになっていて(本なんかは8割方置いてある)、逆に帰省する時の楽しみにもなっている気がする。

2000年9月17日

北海道一周の一人旅 :苫小牧 襟裳岬 帯広

北海道一周の一人旅 (2000年9月17日〜23日)

<9月17日>
苫小牧→襟裳(えりも)岬→帯広

午前11時ちょっと前に札幌を出発。空はどんよりと曇っていた。

BGMはMETALLICA「wherever I may roam」。これは結果的には今回の旅におけるアンセムで、1日の移動初めや休憩後おもむろに車を走らせる時など、もう幾度となく聴いた。

* * *

襟裳岬までの移動は、車での一人旅だからまあ当然と言えばそうだけど、恐ろしく淡々としたもので特に語るべき事はない。「日常」からだんだん遠ざかっていくなぁ、といったぼんやりとした意識があるだけだった。

ただ、襟裳岬の7kmほど手前から、地形が明らかに変化したのには少し驚いた。地表は短い背丈の草で覆われ、大地の隆起も激しい。

それは、はじめて見る風景だった。

襟裳岬

いや、もしかしたら小さい頃、ひょっとしたら親に連れられて、ここを訪れたことがあるのかもしれない。
けど、そんな記憶は今はどこにもない。

* * *

襟裳岬はまさに絶景だったけど、それと同時に、やたらと風が吹き荒れていたのも印象に残った。デジタルカメラを固定するのもままならなかったほどだ。

* * *

えりも岬を後にし、帯広に向かった。天気はにわかに崩れだした。どこからが空でどこからが海なのかわからない。

* * *

帯広についた頃には、日はもうとっぷりと暮れていた。霧が立ち込めていて、街の灯りや車のライト、全ての光がぼやけて見えた。やはりそれも今まであまり見かけない光景だった。

帯広で休息を取る事に決め、手当たり次第に宿を探した。

2000年9月18日

北海道一周の一人旅 :帯広 釧路

北海道一周の一人旅 (2000年9月17日〜23日)

<9月18日>
帯広→釧路

 起きてまず脳裏に浮かんだのが、「豚丼!そしていざ釧路へ!」。そんなわけで、どの観光本にも載っている「ぱんちょう」という豚丼屋さんへ行くことにした。

 本によれば11時開店とのこと。今回の旅の行程のすさまじさを考えれば、可能な限りの時間を移動に費やしたいところなのだけど、まあ、旅は焦らず恋は焦らず。2時間ほど帯広の街を散策することにした。

 11時をちょっと過ぎたところで、目的の店へとカローラを走らせる。・・・閉店。無念。平日フラフラ流離っている暇な旅人のためにも、観光本には「月曜日は定休日」って書いておいてほしいよ。

 ところで、コンタクトの調子がどうも悪い。保存液を忘れてしまったもので、昨夜は真水に浸しておいた。それが悪かったのだろうか?
 「くすりのツルハ」(北海道なら何処でも見かける薬のスーパー)で、洗浄液、保存液、缶コーヒーを買う。やれやれ、はるばる帯広まで来て「くすりのツルハ」かよ。

 豚丼は、土日を使った日帰りの旅で再訪した時に食べよう。第2希望、「パスタ」というパスタ屋さんへ。・・・閉店。無念。

 ことごとく月曜日休みだ。散髪屋さんのようだ。

 仕方がないので、釧路へ向かう事にする。なんといっても今回は気の遠くなるような旅路だなのだ。稼げるうちに、距離を稼いでおかないと。

 移動中は、相変わらず、大きな音量で好きな音楽をかけながら、ゆっくりと、時に少しだけ速くボローラを走らせているだけだ。
 途中、会社から電話が来て、何々を教えてほしいだの、僕が作っていた書類はどこにあるのかだのと訊かれた。ゆったりとしたときの中に埋もれかけていた僕は、それで再び現実に引き戻された。やれやれ。

 帯広でもそうしたように、釧路の街に着くなり、まずは宿探しを兼ねて、フラフラと街を彷徨った。

 * * *

 ある海岸へ辿り着いた。

 素敵・・というよりはどこか物悲しい風景だったけど、不思議となんとなく心惹かれた。圧倒的な力や運命的な引力ではない。だけど、その風景は、穏やかに僕を掴んで離さなかった。

 ドアロックはしたものの、車の窓を半分程開けておいて、僕はデジタルカメラを片手に近場をフラフラと彷徨っていた。でも、もう少しだけ今いる場所よりも遠くへ行きたかった。

 防犯の為に、一応窓を閉めておこうと思って取った行動なのだが、車の外から開いている窓越しにパワーウインドウを閉じるスイッチを押してしまった。当然、ウインドウはゆっくりと上昇してくる。僕は慌てて、腕を車外へ出す。窓は閉まり、全てのドアにはロックがかかっている。・・やっちまった・・。

 辺りの人に助けを求め、恥も外聞もなく訊きまくった。タクシーの運転手さんが「ほしたら、ガソリンスタンドに行ったらいいんでない?」と僕に教えてくれ、僕を近くのガソリンスタンドへ連れて行ってくれた。

 ガソリンスタンドの若い従業員さんと、スタンドのワゴンで再び海岸へ向かった。専用のロック外しを使って、ドアを無理やりこじ開けてもらうのだ。
集中ロック式だったので、本当に全然外れなかった。2時間くらい経過したような錯覚に陥った。

 やがてドアは開いた。でも、今度は鍵がかからなくなってしまった。

 スタンドで直してもらう事にし、スタンドへ向かうワゴンをボローラで追走する。
運転席のドアを全て解体し、思い作業の末、無事直してもらった。


 淡々と書いているけど、その時僕は本当に滅茶苦茶感謝していた。心の底から、といえると思う。このぶっきらぼうな僕に出来る最大限の言葉と表情で感謝の気持ちを伝えた。

 釧路という街で、知らない土地で、挙句まだまだこの先果てしない旅路が続くというのに、俺は一体どうなってしまうんだろう?と、真剣に困っていた。途方にくれていた。

若い店員さんにはあまりに申し訳なかったので、せめてもの気持ちということで、満タン給油をした。


日もとっぷりと暮れ、僕はぐったり疲れてしまっていた。当然、宿も全然見つからず、安くはなさそうな少し洒落たホテルにチェックインし、風呂に入った。

ノートパソコンを開き、釧路出身の友達にメールを書いて送信した後、僕は街に繰り出した。

2000年11月 6日

ガキと大人

このクソ寒い中、国道36号線をスーツ姿で無意味に爆走してる男を見かけたら、それはきっと俺っす。

実は、ハーフマラソン完走して以来、いや、もっと前、北海道を一周した頃からチャリ通してなかった。かれこれ一ヶ月以上も。天気が悪かったり、面倒くさかったり、鍵を無くしたり、といろいろあって、置きっぱなしだった自転車を持って帰る機会がずっとずっとなかった。

で、先週辺りから復活。ウォークマンを爆音で聴きながら、猛スピードで36を駆け抜ける。やー、はっきりいってめちゃ気持ち良いし、楽しい! ガキと言われそうだけどね。寒くなってきたから汗もかかないし、条件は実はこの季節が一番良いのかも。

* * *

ってなわけで、今はけっこう心に余裕とゆとりがある感じで、なかなか悪くないです。傍目に見たら、単なる人の良いおっさんと見えなくもない?

2000年11月22日

古いスタイルの窮屈さ

気持ちよく酔っ払っている西川です。
解禁したてのボジョレー飲んでます、チーズもボリボリ齧ってます。部屋で一人飲んだくれてます。酒が飲めるって素晴らしい。ワインはもうボトルの半分あけちゃったよ。

・・・以前どこかでちらっと「今、仕事が少しツマラン」と書いたけど、取り組んでいる業務のフロンティアな内容とか気の遠くなるようなデカい規模・時間は、僕にとってはやってて面白いし、やりがいもあるし、実際凄い事になると思う。まわりの人にも恵まれているし、仕事もやりやすい。

 じゃあ何がツマランかって、話せば長くなるのでなんだけど、仕事そのものよりは、大企業が持つ「負の側面」。つまり、やっぱり「古いスタイルの窮屈さ」と、「自分のわずかばかりの才能が檻の中で萎え死んで行く感覚」だと思う。もっともっと自由に駆け抜けたい。

そんな僕は「親睦会担当」の特権を利用して、今年の忘年会は僕の独断と偏見でフグをひたすら食う事に決めました。いぇーい!

大企業ってものの存在意義、そして、それに寄り縋って生きてきた「会社人間」のあり方は、間違いなくこれからの数年で大きく変化する、と僕は思っている。なくなるって事はないけど、変わらないと、ね。

2000年12月29日

忘年会、いろんな事

昨日28日が僕の会社の仕事納め。
やったー多忙でせわしない日常から離れられるー!

今月はいろんな事があったな。どちらかというと、重く、切ない「いろんな事」があった。でも決して悲観的ではなくって、むしろ前向きな気持ちと、感謝な気持ちでいっぱいだ。

* * *

さてさて、今夜はSapporo Wireで知り合った皆さんと忘年会。
「クリエイター、またはクリエイターを目指したい人」が集まる会、というかなり明確なコンセプトなので、緊張反面期待も大。あ、メンバーは男性ばかりなので、コンパじゃありませーん。はは。

あ、その前にこれから歯医者ですー。
ワクワク・・じゃなかった、ヤダヤダ。
ヤダといえば矢田亜希子は可愛いですね。さいならー。