ようこそ。ここは写真や音楽、デザインの小話を細々とアップし続けている個人サイトです。東京勤務、湘南在住の道産子がお届けします。
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2002年1月11日

破壊力あるデザイン

デザインってのは面白いな、と思う。

今までは、頭の中であれこれ試してみたいデザインイメージが湧いているけど、手足が追いつかないのが現状です。
”V8”の目標の一つが、長い時間をかけて爆発的にデザイン力を洗練させること。
そして、これはユニット仲間との化学反応でたぶん達成できる。妄想が大切だ。技術は後からついてくる。

個人ページという生温い世界の中で、俺は長い間あぐらをかいていたな、と思う。

正直、バーズアイを含めて「”個人サイト”はこんなレベルで世界に公開しまくちゃってていいのか?」と、時々思うよ。
自由に公開できるということは、厳しい目でチェックし、NGやGOサインを出してくれる人がいないということでもある。
歌の世界でいえば、オーディションやらスカウトやらライブやらレコーディングやら、
デビューのための遠くて厳しい道のりを経ないで、いきなり自分で勝手にCDを売りつけるようなもんかな。
聴いてしまった方は迷惑千万だっちゅーね。

「不特定多数へ向けた表現」ってことを考えた時に、人に伝わり、時に感動を与えるために、
表現したいことを”破壊力”のある言葉なり絵・音に変換し、磨き上げることが必要なのかもしれないね。

人間自身は、はっきり言って大した人なんてそうそういないよ。それでいいと思うし。背伸びする必要ナシ。
でも、人間の作るものは、時として、人の心を揺り動かすとてつもない破壊力を持つと思う。

2002年1月12日

プライベートは諦めた、すばらしい日々

友達のメールを読んでて、仕事の辛い現状がよく伝わってくる一方で、悩み事を聞いてもらえる上司がいるのは、少し羨ましかったりもした。

俺には、そういう人はいない。
一緒に仕事してる一番身近な上司からは、俺が何を言っても「言い訳だ」と言われるだけ。そういう意味では、仕事中はひどく孤独かもしれない。いや、私生活もかな。

だから、誤魔化し誤魔化しモチベーションを高めるというやり方で、ずっと自分自身に負荷と無理をかけながら、”楽しく”仕事をしてきた。ポジティブには行きたい。でも、自分の気持ちをを誤魔化してまでやるべきなのか・・・。

■■

さて、と。明日13日も休日出勤だ。これからもまだまだ忙しい日は続く。プライベートは、もう半分諦めた。単純に、時間的に厳しい。恋とか、普通の休日とか、友達との酒飲みとか。「全てを捨てて僕は生きてる」。「音楽聴きながらの一人ドライブ」さえできれば、少しは楽になれるし。もういい。

それでも、そんな日々の合間合間を有効に使って、V8だけはしっかり進めていきたい。最優先だ。今の俺にはこれしかない。現状を打破して未来に向かうには、これにかけるしかない。

2002年1月14日

カムバック

稲垣吾郎君、戻ってきたね。残りメンバー4人とも異口同音に「嬉しい」。本心だと思う。

震えた声、吸い上げる息の音、頷きながら話す稲垣君。たどたどしかったけど、その姿が逆に良かったと思う。

失敗や挫折の中で何かを掴むことができたなら、「生まれ変わる」ことができたなら、それでいいと思う。全然オーケー!これからも頑張ってください。

番組見ててふと思ったけど、歌っていいすね。

2002年1月29日

大詰め、自分のせいだ、異動

5年越しのプロジェクト、俺自身も入社以来3年近く取り組んできた仕事もいよいよ大詰めだ。年明け以降、まともに休んでいない。

でも、これでいいと思っている。

このプライベートゼロ生活の中にあっても、実は、以前のように不平不満を感じることもあまりなくなった。 楽しさもけっこう感じている。連日息つく暇すらないほど働いているにもかかわらず、気持ちに随分と余裕がある。

以前の俺が未熟だったのだろう。気持ちが不安定だったのは誰のせいでもない。俺自身のせいだ。

■■
ただ唯一改善したいと思っていること。他ならぬ劣悪な私生活環境だ。夕食と風呂の時間内に帰宅するのはまず無理なので、平日分を全て欠食扱いにした。風呂もまともに入れない。

まとまった休みが取れ次第、引越しをしたい。

■■
同期の間では人事異動話でもちきりだ。噂が噂を呼ぶ。ただ、どうなるにせよ、噂に振り回される必要はないと思う。

■■
帰宅後、コンビニへ遅い夕食を買いに行くがてら、よく小一時間ほど夜の一人ドライブを楽しんでいる。

2002年2月11日

今の気持ちで風景を切り取る

V7トップを模様替えしました。
ああいう雰囲気を作るのはもはや楽勝で、すぐできる。写真のセレクトも速いし、スタイルに見合った画像加工も秒殺。

でも、逆に他のアイディアを試す上での妨げにもなっています。

だんだん一つの枠で収まらなくなってきてるというか、いろんなものを作りたいと昔から思っているのに、V7スタイルに縛られている。如何ともしがたいですねー。

■■
年明け以降、職場でずいぶんといろいろな事があった。仕事自体は猛烈に忙しいものの、開き直りもあってか、頑れている。ただ、「(全体としての)カイシャの今の動きはどうなんだ?」とよく思う。具体的に言うと、

●社員をモノ扱いしてないか?
技術や実績、特性、個性を考慮した上で人事を行っているか?現場・職場と人事の間とのリンクが正直見えてこない。

●迷走していないか?
企業として、業界を進むべき将来ビジョンが見えてこない。
Only the から One of Them に陥りつつあるように俺には見える。

今の仕事は、まぁあまりに壮大なせいもあってか、良くも悪くも精一杯な状況だし、ありがたく思う。ただ、カイシャ全体の今の動きには、正直言ってたくさんの疑問符がつく。

■■
風景を求めて、また旅に出たい。

元々は、、ペーパードライバーだった俺が、練習を兼ね、一人ドライブを重ねたのが始まりだ。そのうち、音楽を聴きながらあてもなく彷徨うドライブが楽しくなってしまい、週末ごとに北海道のいろんな場所を訪れた。一昨年の話だ。

グランドツアラーの復活。

今まで撮り溜めたサイト製作用の写真素材、だいぶ枯渇してきた。それに、今の気持ちで撮れば、また違う風景を切り取れるはずだ。

そう、重要なのは今の技術と今の気持ちで切り取ることだ。今までの写真素材を過去に葬り去るくらいの質と量を。

2002年3月31日

MOTION DIVE 3 とミーハーな俺

寮の「重大事件」とか、仕事が不意に変わったこととか、噂ばかりの異動騒動とか…バタバタしてたこともあって、3月中旬からV8プロジェクトも休養期間に入っている。ユニット活動はもちろん、俺はいつもの「モスやフレッシュネスに篭っての個人活動」も全く行わなかった。暇は沢山あったけど、バーズアイの更新作業もしばらく休ませてもらった。というか、生活全般に渡ってけっこうイイ具合に腐っていたと思う。

で、何をしていたかというと…大して何もしていなかった。

でも、少しずつ復活だ。時間は俺を待ってはくれない。

髪を短髪に戻した。久々にジーンズを買ってみた。自転車のパンクも直した。リンキンパークのCDも買ってみた。久々に走った。メタリカの「LOAD」と「RELOAD」を久々に聴いてみた。

メタリカの「METALLICA」。通称”BLACK ALBUM”。1991年発表。世界販売数およそ2000万枚という驚異的な数字。その圧倒的な高音質、ストイックに削ぎ落とされたリズム。10年以上の音とはとても思えない。
マスメディアの力を借りず、踊らされず、自らの力で勝ち取った栄光。一部マニアからのみ熱狂的支持を受けていたカリフォルニア出身のバンド・メタリカ。彼らを一躍マイケルジャクソンと同列に論じられる存在まで押し上げた奇跡的な音譜だ。

でも、もともとは中学校から高校にかけて、数あるロックサウンドの中でなんとなく聴いていただけだったのだが。

”Wherever I May Roam”。何処を流離おうとも。

”異国の地・京都”へ赴くとき、北海道に”帰国”するとき。浪人時代の戦いの度、就職活動の中で自分らしさを持ち続けようとする度。・・・幾度となく聴いてきた曲。

そして、今、また繰り返し何度も聴いている。

ドキュメンタリーでも作ったら面白いかもしれない。

道のりは遠い。というよりも、道そのものを作っている。そして、苦しいことばかりだ。

でも、誰かと何かを築き上げるときなんて、そんなものかもしれない。

オマケ
休養期間に唯一やってみたことといえば、MOTION DIVE 3。

ありゃ楽しい。パソコンいじってて楽しいと思えることなんて、そう滅多にない。
製作プロジェクトの一ユニット達のシール満載。すばらしい・・・。あと、あんなカワイイマニュアル、初めて見た。

2002年4月 3日

大層な考えなど、ナイ

マイッタな。起こる時は絶え間なくいろいろ降りかかる。(自分で勝手に事を膨らませてる気もするけどね)

社会人4年目に入ったところで、最大級の脱力感・無気力感を味わってる。マズイ。出口というか、突破口は幾らでもあるんだけどな・・・。それを即断できないって事は、だいぶ思考能力が低下してるのかもしれない。

最近、休憩がてら時折ビルの屋上に上がり、考え事をすることがある。俺はタバコを吸わないので、休憩室(=喫煙室)にもまず行かないから、考えてみれば、長く休憩すること自体が既に珍しい。・・・うーん、今の自分が情けない。

と、暗い話はこの辺で。どーでもいーやー・・・と言いたいトコだけど、そうもいかないっすね。・・・逃げられない問題だから。

■■

バーズアイには、まだ公開してないページが幾つかある。たとえば新しいプロフィール。

〜 会社に入ってやりたかったことは、単に設備やシステムを作るだけでなく、コンテンツ(わかりやすい例で言えばWEBサイトとか)やサービス、エンターテイメント的な要素までも提案・製作すること。人々に便利さだけでなく楽しさも同時に提供すること 〜

大層な入社理由なんて俺にはない。というか、そもそも俺はきっと「会社人間」として失格なんやろな、と思ってる。

でも、なんというか、「便利さだけでなく楽しさとか驚き・感動も贈りたい」って考え方は、会社とか個人とかいう土台を問わず、持っているのかもしれない。逆に言うと、それを実現できるのであれば土台は問わないと言うことになる。まぁ、かといって、個人と言う土台を作るのには、一筋縄ではいかないか。

ま、ともかく、そんな大層な考え持ってるワケでもないな。

だって、今一番やりたいことは?ってきかれたら、「なーんもやりたくねーっすよう!!」って胸を張って即答するはずだから。

■■

大人の風格や振る舞いと子供の情熱や好奇心。落ち着きと明るさ。アホと真摯。静と動。

できることなら両方を持ち合わせたい。

2002年4月 7日

Evening Falls...

最近の作品には少し疎くなってしまったけれど、エンヤも高校の頃からポツポツ聴いている(音楽雑食ナリ)。

メジャー・ファースト※アルバム「Watermark(ウォーターマーク)」には、「ORINOCO FLOW」のように、ちょっと煌びやかで華のある感じの最近の作品に通じる原石も光っている。(※インディーズ時代にも「ケルツ」という名の”サントラ的アルバム”を発表しているので、2作目とも言える)けれど、その一方で、「Evening Falls...」のように少し憂いのある、しかし、時間の流れすら止めてしまう程の幻想的な音世界にも満ちている。

何かの機会があったら、エンヤのWatermarkに収録されている「Evening Falls...」を聴いてみてほしい。そこには、泣き出しそうになる程の、桃源郷のような風景が広がっているから。

■■

俺は、気楽な自由人というか、どっちかというと一人黙々とやる「職人肌・芸術家肌」タイプなんだろう。もうこれは「三つ子の魂百まで」そのままだ。リーダーとかマネジメントの素養(”大雑把な考え方”とも言うが)は、性格も少しはあるのかもしれないけど、俺はあくまで後から修得した後天的スキルだと思っている。

ただ、「じゃあ、おまえは具体的に何がやりたいんだ?」と問われると、たぶんどうも上手く説明できなさそうだし、答えられなくても全然いいと俺は思う。極論だけどね。サラリーマン的生活と価値観をブチ壊したいのは確かだけど。

それはたぶん決め付けることではなく、その時その時の気持ちに正直に、腐らずに、ずっと探し続けていくことなんだろうと思うから。夏目漱石も言ってるさー、俺達は迷える子羊だと。

2002年4月 9日

パスタも食える茶店

女子こーせーを数多く見かけるようになりました。チャリンコ乗ってる姿を見てると、おとーさんハラハラ心配って感じです。新学期ですね。音楽聴きながらの行きのチャリ通勤だけが爽快なひととときっす。帰りは上り坂でダルすぎっす。

■■

この相棒ノートパソコンとPHSさえあれば、たしかにいつだって何処だって部屋と大して変わらない作業ができる。

現に、今もビルの屋上にあるベンチに座って、2000年発行の古いエスクァイア(Esquire)「憧れの、SOHOスタイル。NYに探る"Small Office Home Office"の理想。」なーんて優雅に読み耽りながら、向かいのビルにカワイイ女の子は居ないかなぁ〜なんて覗き見しながら、コリコリとこの文章をWindowsメモ帳に書いているわけだ。

モスやフレッシュネスでも然り。リラックスしながら作業ができる(さすがにこっぱずかしいので極力使わないようにしてるけど)。

このことは魅力的だし、俺が2代続けてノートPCを愛用している理由だ。


ん?何が言いたいんだ?ノートはあまり関係ないか。

■■

ここ数週間、かーなーりグッタリと弱ってた。でも、

逆境、多忙、2足のワラジ、ハプニング、運営、苦労、未経験、暗中模索、休養、迷走、紆余曲折・・・・・・いろんな目にあうと思うし、時間と労力もメチャもかかると思うけど、、腐らず諦めず、必ず自分の土台を築き上げる。具体的には「工房・アトリエ・事務所・お店」っぽいものを作る。

つーかパスタも食える茶店、最近見っけたんだけど素晴らしすぎる。茶店ではないけど、俺もやってみたい、自分の土台。ホント、やってやる!

2002年4月12日

街中の鳥目工房

やはりというか、店員に顔を覚えられていた。

たった今起こった出来事だけど、ついにフレッシュネスバーガーの店員さんが、俺のスケッチブックを見て、「いつもありがとうございます!何のお仕事をなさってるんですか?」とニコニコしながら訊いてきた。

そりゃスーツ姿(とサル頭)で夜中にしょっちゅう現れて、パソコンとニラメッコしてたり、ノートにスケッチしたりしていれば、気になるよな。うん。

単純に「勉強や個人作業、打合せがしやすい場所」を探した結果、”2階席があるファーストフード店”ってのが思い浮かんだ。かれこれ今年の1月から3ヶ月と少し、延々通い続けた。

市民権を得た、とでも開き直ろう。街中に、自分の快適な創作空間を(勝手に)築いた。

・・・チョイ違うな。”事務所”には程遠いし。でも、これからもチョクチョク世話になると思います。迷惑かけませんので、どうぞよろしく。

■■

不意の質問に少し慌てはしたけれど、「フ、フツーのサラリーマンですよ。今はホームページを作る仕事してるんですよ!」と、俺は答えた。

でも、2つ嘘をついてしまった。本当はこうだ。

俺の会社では、モノ作りは、”正式には”どうしてもできないこと。
そして、
俺は充電期間に入っていて、今は力が湧いてこないこと。

それでも、雑誌を読み耽るだけのユルイ時間も、俺は悪くないと思っている。

2002年4月14日

寄り道

全然よく知らない人だから好き嫌い以前の話だし、だから簡単に「尊敬」なんて言葉も使わない。でも、某有名企業のトップ・出井さんは、たしかに気にはなるし、興味深い方だ。

「入社3年を経た後、私費でジュネーブに留学」

という経歴に、まずヤラレタ。私費で、というのがポイントで、つまりは自ら長期休職かいったん退職の道を選んで、フラリと渡航したのだろう。フラリと言っても、たしか7〜8年くらいだけれど。(後日註記:出井さんのジュネーブ私費留学は、1〜2年くらいの誤りだった。ゴメンナサイ。滞在自体はたしかに10年近いけど、1〜2年の留学の後は、現地で社員として仕事してた。特に後半はヨーロッパ本社の設立に尽力した、と。スゴイ・・・)

■■

俺も、いつか「これだ!」という自分の道を確立したい。そして、その道で「すげーこと」を成し遂げたい。それが微力でも新しい時代作りに貢献できれば最高だ。・・・そんなヤンチャな”野望だか大志っぽいもの”を今だに持っている。
「流されず、自分の頭で考えて、行動する。」「人生は自分が決める。」・・・会社員生活も長くなると、この当たり前すぎることを時に忘れそうになる。

■■

「正しいか間違ってるかはさておき、とりあえず決まりに従っておいて、レールから外れなければ良いんだ」と思ってる人がたまにいる。そんな風にして、何も考えずにエスカレーター式に無難に”お偉いさん”になっても人生ツマランだろうし、第一、そういう人が新しい時代(俗に言うIT後の世界、ブロードバンド後の世界)を作れるとは、正直あまり思えない。

出井さんの「ジュネーブ留学」のような”寄り道”も、だから、俺はすごくアリだと思う。

2002年4月24日

執行猶予、半年後の大決戦

「5月1日で東京本社に動くらしいぞ。」

と、課長から言われてたけど、何がどうなったんだか、結局、異動しないことになった。きっと知らず知らず悪事でもしでかしたんだろう。ハハ(真面目に話すと、これが「実務と人事の距離」と言うヤツだ。個人の特性や実績と移動先がリンクしなかったり、情報が人事から現場に降りてこない)。散々周囲をお騒がせし、また俺自身も随分とグッタリしてしまった異動騒動。以降、少なくとも半年以上は異動話も出ない。

札幌で暮らせる。腰を吸えて活動できる。ドライブできる。

半年も猶予があれば、十分「土台」を作れる。そして、半年後が決戦の場。半年経つまでに、「個人としての力」をめいいっぱい鍛え上げたい。企業にケンカ売れるくらいまでに・・・は、さすがに期間少なすぎるけどね。

・・・なんか、ドラゴンボール的だな。まずは、生き返らないとな。

それにしても、「北海道支店内の人を減らそう」と言う動きがますます顕著というか、露骨になってきた・・・。今日の様子伺っててそう思った。

FLASHの最新バージョン「FLASH MX」、先代のFLASH 5より爆発的に進化したみたい。んー・・・。

2002年5月11日

さよなら

ゴメン、やっぱり鳥目の更新をしばらく休ませてください。

鳥目は、自由に物を作るアトリエであり、素直な言葉を発するノートでもあると思う。ある意味で現実の俺と同じくらいに”俺そのもの”だから、鳥目を消す事は、俺がズルズル生き長らえている今はまだないと思う。

ただ、今、言葉を発する元気が、俺にはなくなってしまったというだけです。ゴメン。

■■

夏にバーズアイの次期バージョンとして、最強個人サイト”V8”を公開する予定だけれど、ひょっとしたら遅れるかもしれない。その時はほんとゴメン。

突然で悪いけれど、少しの間、休ませてください。でも必ず戻るよ。ありがとう。さよなら。

2002年5月14日

ゴメン

前回の雑記「さよなら」について、「びっくりした?何かあったん?」というメッセージを幾つかもらいました。まさか「お休み宣言」で反響が起こるとは思ってなかったので、俺もびっくりした。申し訳なかったです。

「何かあった?」という質問への答えだけど、全く何もないよ。大丈夫。

ただ、3月の末に、ちょっといろいろあって、その状況を一向に解決できないでいる。2ヶ月近く経った今、ちょっと心が弱ってしまったみたいで・・・。

これから数ヶ月先に、人生を左右するほどの行動を起こすはずだったけれど、夢の先が見えなくなった苦しさもあるし、それ以上に・・・今、こういう状況に陥って、未だ抜け出せない訳も・・・分からない。

でも・・・そう、休止するほどの事でもないよな。そうだ。一応飯だって食えるし、眠れるし、ちゃんと生きてるやん。

休止宣言撤回、というとあまりに軽いけれど、サヨナラもなければ、休止も閉鎖もない。楽にいこう。ただ、今の俺は、情けないけれど限界近くまで弱りきっていて、うまく言葉が発せられない事だけ了承してほしい。

取り急ぎ、お詫びと今の心の報告でした。

無の時から抜け出せる日を願って。 晃太郎

2002年5月26日

音楽という川

BUMP OF CHICKENの「jupiter」、モンゴル800「メッセージ」、Mr.Children「It's a Wonderful World」、俺について。

■■バンプオブチキン

「天体観測」が、俺の頭の中でずっと鳴り続けていた。久々にいいバンドに出会えたな、と思った(もちろん他にも沢山いるのだろうけど、音楽好きを自称しながら最近少しだけ音楽情報に疎くなってしまった気がするので、たぶん素晴らしい星々に俺は気づいていないだけか)。かなりイイ。「天体観測」が好きな人なら、アルバム「jupiter」を通して聴いても十二分に満足できると思う。

満足?・・・ちょっと表現違うか。若い頃抱いていた想いとか、切なさ、もどかしさ、でもまっすぐな気持ち、そういう大人という鎧の中で埋もれつつあるものに向かって飛んできて、鋭く突き刺さる。

大人なんてものは決してカッコいいものではない。カッコいい”だけ”の大人は嘘だ。

切なさ、弱さ、情熱・・・星の数ほどの気持ちを積み重ねて、笑いの中に切なさだってにじんでいるし、疲れた顔の奥にはそれでも情熱が宿っている。いろんな思いをごちゃ混ぜにしてできたその結晶だ。

 

■■モンパチ

沖縄のどこかにある高校の、高校生の、バンドやったり、やりきれない思い抱えてたり、友達とバカやったり、恋をしたり、・・・聴いていると、自分の気持ちがそんな風景に向かって飛んでいく。

や、それ以上に、単純に聴いていてとてもいいと思う。

音は、というか録音状態は荒削りだけど、逆にリアルに響くし、知らない(メディアなどを通して観た事がない)バンドなのに、すごい身近に迫ってくるというか、・・・とにかく”リアル”だ。

ちなみにハイスタンダード(Hi-Standard)の音が好きな人なら、好きな音だと思う。
それと、余談だけど、沖縄つながりで言えば、元ちとせも最近よくラジオで流れてる。

 

■■ミスチル

youthful days出てきたあたりから、再注目・・・というと失礼だな、単純に、youthful〜はいいと思った。It's wonderful world. この醜くも美しい世界・・・という意味が込められている。

 

■■俺

レスポールは封印したままだ。弦もとっくに錆付いているだろう。ドラムもしばらく叩いていない。キーボードは埃をかぶっている。

・・・それでも、俺の根底には音楽という川が流れている気がした。

2002年6月 6日

傭兵

・・・走ること、別に趣味ってほどでもないと思う。単なる暇人だから。ただ、今は・・・今の俺にとっては、喜怒哀楽のどんな時も続ける事それ自体が大切だし、俺を形作っているんだろう、と。

最近は、自分の事を”傭兵”だと思うようにしている。

個性や特徴、これまでの業務で身に着けたスキル、そして”俺ができること”を考慮されず、「稼動」という名前でほとんどモノ同然に扱われる今・・・、だったらその度毎に、俺は与えられたタスクを淡々とこなして行く。・・・以前と全く逆だな。昔・・・以前の担当では個性や人柄丸出しの仕事の仕方をしていたんだが。

傭兵、か・・・。でも、そういう風に思うことで少しは楽になれる。

決して正しいとはいえない考え方だし、俺自身、いつかこの環境を変えてやりたい。でも、まずは止まってしまった時間の中で、この果てのない闇を乗り越えていかなくてはならないから。

2002年6月 9日

ベッカム、カイリーミノーグ

8日土曜
俺、髪伸びるのけっこう早いな・・・何でだ?
長い髪型は自他共にどうもイマイチという印象だった(たまの気分転換って意味では悪くないけど)し、短い髪はこまめに切らんと中途半端な猿頭になってしまう。切りにでも行くか。と、昨夜の熱狂が嘘のように静まり返っている札幌ドームの周辺を走りながら考えた。

予約。美容師の友人に頼む。ベッカムみたいに、と。(超ミーハー)。

「ベッカムの髪は髪質が違うから難しいかも・・・」との、友人のアドバイス。「ハハ、冗談だよ」と返したけど、実はちょいトライしてみたかった。カットとカラーリングを頼んだ。

ところで、驚いたのはベッカムの年齢だ。今27ということだから、今年12月で27になる俺とは同い年かイッコ上ってことだ。パッと見の雰囲気的に少し下、23〜25くらいかと思ったんだけど。・・・でも、あの表情とか考えとかを感じ取るとやっぱ良い意味で歳食ってる。まぁでも、ベッカムの場合は、本人も言っている通り「4年前の出来事」があったから、さらにさらに大きく強くなれたんだろう。ただ普通に4年を過ごしたのとは違う・・・ってことか。


9日日曜
開店と同時に店に入る。周りを短く刈った後、「どうする?上(の髪)残す?」と訊かれ、「残してみよー」と答える。・・・結局、ミーハーな・・・。かなり短くしたいけど、でも角刈り・スポーツ刈りっぽくなるのは避けたかったんで、全体的に刈り込んでおきながらも、まぁ上でチョット遊べる。いいかもしれない。

買い物しようかと思ったけれど、最近デカイ買い物をしてしまったんで、自粛する事に。ドライブがてら、フラフラと回り道しながら帰宅。

この週末あたりから今月いっぱいまで、ちょい本格的に走ろうと思っている。というのも、今月末頃にとある街で開催されるハーフマラソン大会に出る事になってしまったからだ。変な成り行きというか、なんというか。でも、まぁ抜け殻のような今の俺にとっては、良い目標ができたってことだろう。

ところで、カイリーミノーグが流行ってるらしい(今頃になって・・・という感じだけど)。スマスマの影響らしい。俺が持ってるのは以下の二枚でどっちもオススメできる。

昨今のサッカー、カイリー、この夏日本に「にわかファン」が大量発生している(俺もにわかベッカムか)。ミーハーでも何でもいい、せっかく興味を持ったのならその世界をブームという名前でさらっと流さずに、ほんのちょっとだけ漬かってみて。

■Impossible Princess
移籍前最後のアルバムで、音、アレンジ、曲に至るまで、かなりクオリティ高い。後述「Fever」に比べて、かなりアートの雰囲気漂う。でもポップ。タイトル忘れたけど、2曲目のアイリッシュな間奏とと3曲目の爽やかロック調(?)な感じは受け容れやすいと思う。

■Fever
最新アルバム(といっても去年の今頃の作品)。ダンサブル。Impossibleに比べて良い意味でチープかも。雰囲気も違う。でも、悪くない。シングル(たぶんこれが流行ってん?)「Can't get you out of my head」収載。ドライブの友。一曲目「more more more」をかけて、夜道に繰り出そう。

2002年6月13日

漬物石、風が吹き抜ける

どっかに書いた「稼動という名のモノ扱い」について、ビックリさせたみたいなので補足します。

以前のようなプロジェクトメンバーではなく、”お手伝い要員・雑用係”として、ある別のプロジェクトに参加することになりました。先週からある町に毎日通っています。

・・・今、自分の受け持つ仕事の中で、提案とかお客さんサポートとか3〜5つくらいかな、案件をたまたま同時に抱えてて、少し飽和気味だった(さらに、以前の”あの”仕事も、”幽霊”として未だにやってたりするけど)。そんな中で、今の仕事と平行して急に長期的にそういう状況に陥ることになってしまったので、(・・・今やってる仕事に集中させてほしいなぁ)って、ちょっと暗くなってしまっただけです。まぁ頑張っていこう。

それにしても、ホントこの手の仕事・・・「多くの人・物・金を巻き込む事業」はトラブルと無縁ではいられないみたいだ。よく言えばダイナミック。もう慣れっこだから大して動揺しないし、今は「半分部外者だから」という甘えもたぶんあるけれど、それでもなんというか漬物石でも背負って生きている気分になるのは確か。

・・・ネガティブな考えに耽る暇があったら、とにかく一個一個片付けていこう。いろんな事が起こるけれど、なるべく前向きに。

***

でも、今は以前よりはずっと自分の時間を持てるようになった。いいことだ。あと、なんというか・・・上手く言えないけれど・・・・少しだけ、ホントほんの少しだけ成長できたかもしれない。

決して状況は良くない。というか限りなく最悪に近い。それでも今、俺の気持ちの中を風が吹き抜けている感じがするから。

2002年6月15日

おめでとう

社有車のシビックフェリオを走らせながら、俺はラジオから流れる「サッカーW杯:日本対チュニジア戦」の模様に耳を傾けていた。

札幌で、月曜日に予定が入っている提案と火曜日以降のお客さん支援についての打合せの最終整理をしていると、16時くらいに突然”例の町”の工事現場から「手伝ってほしい」との電話がかかってきた。

その町までは、車でおよそ1時間半ほどの所にある。おかげで俺は職場を抜け出し、1人でゆったりと広いR12を走りながら試合を全てリアルに観戦できた。

試合が終わり、日本が決勝トーナメント進出というとても大きな夢を成し遂げた瞬間、人は皆それぞれにいろんな思いを抱いたと思う。俺もその1人だ。

***
 
心の中で抱えてる漬物石・・・今日は少し重かったかもしれない。来る日も来る日もいろんな事を考えてしまうな。いろんな事を書きたいけれど、今日はこの辺で。

日本代表、おめでとう!そして、夢を叶えることの素晴らしさを教えてくれてありがとう。

2002年6月17日

ベッカム再、線を理解してくれる人?

対ベルギー戦、対ロシア戦は自宅TVで、対チュニジア戦は現場に向かう車の中で・・・と結局ぜんぶ観戦してます。決勝Tの対トルコ戦は、うーん、ちょうど訪問先から戻る途中のはず(前とは別の町で、片道2時間ほど)、上手く行けばまた移動しながらラジオ観戦、か。

札幌で試合のあった週、何故か安全上の理由で自転車通勤が禁止になっていたので、まぁいいやと思って、その週だけゆったり車通勤していました。で、俺の住む会社寮は札幌ドームからわりと近いところにあるので、ドームで試合のある日は、一時間前くらいの様子を車窓からちょこっと眺めてみたりして。

ドームと言えば、イングランド対アルゼンチン戦。因縁の対決。結果はご存知ベッカムのPKゴールで生まれた1点を最後まで死守したイングランドの勝利。観客の9割がイングランドサポーターだったというから、もしもイングランドが負けていたら・・・と考えると怖いね。

■■

ベッカムは、まぁ今、日本中で量産型が沢山出回っているけど(まぁ今の俺もベッカム(をモチーフとした)髪型だな・・・)、たしかに注目したくなる選手だ。

というのも、4年前のあの屈辱以来、どうやって精神的な地獄を乗り越えて、復活を果たし、エースとしての貫禄すらまとうに至ったのか・・・と、単に”ミーハー”という名の一瞬(点)だけでなく、4年の歳月という時間(線)という視点でも気になるからだ。で、内にはたぶん4年分の重い思いがある一方で、外はあのクールなルックス(とキレイな奥さん)と。同じことはヒデ(中田英寿)にも言えるかもしれない。たぶん、ヒデのことをよく知らない人ほど、一方的に嫌うか好きになるかの両極端に陥ると思う。

■■

苦しい時とか、挫折とか・・・そういう時はどんな人にもいつか訪れるものだ。その中で「自分だけがどうしてこんな目に・・・?」と被害者意識に陥ったり「どうせ俺なんて」という風に変に屈折することは、あまり良くないと俺は思う。まずはその苦しさから逃げないで、次に乗り越える方法を自分の頭で模索し、最後に実践することだ。

「自分の頭で」というのが凄く大切だと俺は思う。誰かに相談したり、いろんな意見を聞いたりするのはもちろん大切だ。でも、点を理解してくれる人はいるかもしれないけど、線を・・・他人の時の流れを理解してくれる人なんて、いそうでなかなかいない。誰かに甘えたり、すがったりしたくなるし、そういうのも凄く大切だと思う。いつかは逃げずに自分の力で戦わなくてはならない・・・まぁこれは今の俺自身だな。

いかにも「君の気持や事情はよく分かるよ」的な表情を浮かべるオトナ、そして重荷になった途端に上手くかわして逃げていく人たち。最悪だ。

例の「さよなら宣言」の時とか、そうとう俺が腐っていた頃、「正直言って事情はよく分からんけど、でもとにかく前向きに頑張れー」といった感じのメッセージを沢山もらいました(ホントありがとう)。たぶん、これが本音だと思うし、こういうメッセージの方が「オトナの意見」よりもよっぽど嬉しい。人はそれぞれだし、他人のことは簡単に分かるもんじゃない。でも、皆とにかく進んでいかなくちゃならないのは一緒だからね。

■■

ん?何が言いたいのかよく分からなくなってきた。眠い・・・、続きはまたー。

今日は、最初に書いた町々とはまた別の町に提案しに行かないとな。お、でもその前に「業務目標設定シート」だかについての課長面談だ。「各自チャレンジしたいことを記入しましょう」が建前だけど、4項目中3項目までは部門ごとに一字一句に至るまで書くことを決められ、押し付けられてるのが実際だもんな。なんのための個別目標設定なんだ?だから俺のシートは残された4項目目がついつい異常に小さい字になってしまう・・・。

2002年6月20日

英語だって喋っちゃうクールな謎のおにぃさん

帰り道、コンビニに立ち寄って夕食を買うのが日課です。

「今夜のご飯は何にしよっか?」「そーねー、今日はーヘルシ〜にぃ」と自問自答しながら(ニュータイプではありません)、店内をうろつき回っていた。すると、何故かいきなり大勢の外国人が店内に雪崩れ混み。でも、俺は俺で淡々と買い物。

突然、外国人女性が俺に「キャンユースピークイングリッシュ?」と話しかけてきた。

なんだなんだ?新手の勧誘か?話せないこともないけれど、ある程度だぞ・・・と、切り返す言葉を捜すのも面倒だったんで、「い、いえす」と返事。そうすると、「おー」とすがるような表情で聞いてきたのは、「この店にチョコレートドリンクは置いてありますか?」だった。

なんだ、めちゃカンタンやん!おー、めいびー、きっとありますよ。おー、とテキトーに喋り、チョコレートドリンクを探す。で、丁度ロイズのチョコレートドリンクがあったんで、それをジョークの一つでも交えながら手渡し。

「おー、サンキュー、サンキュー」と女性はエラクはしゃぎ、友達数人を呼び集めてチョコレートドリンクを高々と掲げ上げていた。いやぁ、そこまで喜んでもらえると嬉しいです。チョット変に目立ってしまって恥ずかしかった。

この件で何がよかったって、んー、セブンのキュートな(たぶん)新人バイトさんに、”仕事帰りにいつも現れる、英語だって喋っちゃう、ちょっと髪型がミーハーなクールな謎のおにぃさん・・・いったいあの方は・・・きゃ〜!!”と印象付けた事やね。(以下、ベッカムヘアの内部で一週間分くらいの妄想)

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冗談はさておき。俺は英会話学校なんて行ったことないし、英語の”お勉強”は全然してないよ。せいぜい洋楽を聴くくらいだけど、これは単なる趣味。

そう、俺にとって、音楽という趣味の延長・・・というか”おまけ”として英語があるだけだと思う。のんびりやってるだけ。

会社で求めるスキルって中に「TOEIC(英語の資格)何点以上」とか育成研修の度によく言ってるけど、「グローバル時代だからー」という波に乗っただけの”画一的で押し付けがちな目標値”という気がしなくもない(実際、職場で直接的にはもちろん、間接的にも英語力を使う機会はほとんどない)。

別に反抗しているわけでもないけれど、そういう目標値はどうも忘れてしまいがち。自分の目標は自分で立てたい、と思っています。

2002年6月23日

あたたかい警察

TVなどでご存知の通り、隣の国・韓国はベスト4に。街も、国民と歓喜の声と熱で満ちている。

で、さすがに深夜近くになると、警察も特に若者たちに向かって帰宅を促すのだけど、興味深かったのが、「もう夜も遅いから帰りなさい。次の試合でまた会おう!皆で応援しよう!」という、その温かい呼びかけ声だった。一緒に歓声を上げ、喜んだりもしていた。若者たちも割りと素直に「はーい!」という返事を返していた。

人間的な警察官。一般の方との温かいコミュニケーションの成立。もちろん仕事も忘れずにこなす。

日本だと、警察官個々にはもちろんいろんな人がいるけれど、でも組織の雰囲気という意味で、こういう光景はなかなか見かけない。”公務員”から、たぶん、機械的、無機的、事務的な警告があるだけだと思う。・・・さらには、例の日本総領事館で起きた亡命事件の際の、あの日本人の対応・・・。

2002年7月 2日

ハーフ完走、今は・・・

6月30日

ワールドカップを部屋で見ながら、いい感じに酔っ払っていた。ブラジル優勝おめでとう。ロナウド大復活おめでとう。でも、ドイツも決勝でついに2失点こそしたけれど、カーンは凄い・・・。世界最高のキーパーという賛辞は本当だ、と素人目に見ても思う。「凄い」を超えてある種のオーラというか神々しさすら感じる・・・。

ところで、酔っ払ってるのはサッカーのせいではなくて、自分へのご褒美のためだ。酒は元々かなり飲めるほうだけど、普段はなるべく飲まないようにして、こうして何かを成し遂げた時にご褒美として飲む酒は、かなり美味しい。

そう、今日は例のハーフマラソン大会(6月日記参照)に出場した。とある道南方面の街へ向かって、夜明けとともにボローラと中山峠に始まる山岳ラインを疾走。
大会の方は無事21.0975kmを割と楽に完走できた。
その足で帰路へ。ドライブを楽しむため、ルートを変えて室蘭〜苫小牧の海岸ラインで。北海道一周の一人旅を思い出したけど、海岸ラインは単調な上にけっこう混雑してるのでダルかったな・・・。

白老という街あたりで、疲れがどっと押し寄せてきた。コンビニの駐車場で軽い食事を取ったあと、思わず1時間半ほど眠ってしまった。でも、目覚めたら疲労感がぶっ飛んでいたのには我ながら驚いた。休みたい時は休もう。

7月1日

ハーフマラソンの疲れはほとんど残っていない。普通に札幌駅まで快速チャリ通を。

JRに乗ってある町へと向かう。のどかな景色。スカスカの道。クルマ通勤したいな・・・。

その町で、俺は課長とプロジェクトリーダーのオーダーの下、毎日たくさんの資料を黙々と作成している。コンピュータを操作するというよりも、コンピュータの一部になっているのかもしれない。オーダーに対して、迅速にスマートなアウトプットを吐き出す。

と、こういう文体で書くと暗めに響くな。とにかく・・・今は、淡々とできる限りの事を叩きだして行こう。

ただ、結局今年も有給休暇を全然使わないままここまで来てしまったのは、痛い反省点だ。いや、休みそのものよりも・・・。

「かつて思い描いていた"自分の暮らし"や"理想の社会人生活"とあまりにかけ離れすぎている現実」が、俺を鋭く刺している。

2002年7月 7日

旅は続く

中途半端な自分のまま、いろんなことを決めかねているうちに、ズルズルとついにここまで来てしまった。でも、たぶん結局これが・・・いつまでも中途半端であり続けるのが俺なんだろう、と思います。

俺がやりたいこと、俺にしかできないこと・・・。

ひょっとしたら、俺にしか出来ないことを突き詰めていくと、それは、既存の切り口で囲い込むものではなくて、新しいジャンルなりスタイルを開拓することなのかもしれない・・・。

これだけやっといて言うのも何だけど、ホームページはそれ自体が最終目標ではなくて、「やりたいこと」の情報発信地のような役割を果たすんだろうと思う。

そして、俺は未だに「自分」を発見していないんだと思うし、自分探しの旅は京都から帰ってきた今も続いていると感じています。未だに未熟者です。

2002年7月16日

手ごたえ感

大きな仕事。

それは、仕事や人生の経験を積み重ねた後、然るべき時が訪れた時に、献身的に取り組む。そういうステップがきっと大切だし、必要なんだ。と、俺は今、経験から痛感している。

入社以来俺が携わってきた●●村でのFTTH(Fiber To The Home)式CATV構築、そして今やっている●●町の事業・・・。たしかに、単に規模や金額で言えば表彰モンの工事をやっているのかもしれない。「すげー」ってことになるのかもしれない。

でも、"大きな仕事"ばかりやってきた俺には、小さな、でも自分でゼロから全て成し遂げたといえる経験が、無い。そして、たとえば家族や夢といった、自分にとっての支えや守るものも、今の俺にはない。

そういう俺が、入社以来、たとえ小さくとも地に足の着いた仕事を経験することなく、こうして大プロジェクトの一員であり続けることが、果たして長い目で見て良い事なのかどうか・・・。かなり自問自答の日々を送っている。もっと「俺がやった。俺が作った」と言えるような、"手ごたえ感"が、若い頃には必要なはずだ、と。


今の俺のプロジェクトにおける主なミッションは、「プロジェクトリーダーの指示に従って、膨大なアウトプット(各種資料)をひたすら作成する」という歯車。毎日朝から日が暮れるまで黙々とキーを打ち続ける。

今日は朝から23時までひたすらEXCELと格闘し、作業スケジュールの詳細線表を作成していた。気が狂う・・・とまでは全然行かないけど、さすがに神経が少し擦り減った。

JRも当然なくなった。そんな俺を見て、リーダーが自分の社有車を借してくれた。先に帰ることを申し訳なく思いつつも、1人夜道を帰宅した。

リーダーは町の工事事務所に泊まり込み、立案の作業を続けた。本当に献身的にこの大事業に従事している。俺がこの無味乾燥な歯車生活から何とか逃げずに頑張れているのも、たぶん他の人の頑張りを目の当たりにして、イマイチ逃げ切れないせいだろう(逃げたい気持ちでいっぱいだけれど)。

体力的にはまだまだ底なし。でも・・正直言うと、モチベーションを保つのがかなり困難だ。そして、精神的にはガソリン切れに近い状態がずっと続いているかもしれない。

俺が求めるものは大層なものではない。小さな、でも確かな"手ごたえ感"と"生活感"だけだと思う。

2002年7月22日

故郷、闇の向こうの見えない光、最後の戦場

木曜日と金曜日の境い目、いつも通りコンビニで遅い夕食を買いながら、「もしこの土曜日曜とも休めたら、実家に帰ろう」と、何の脈絡もなくふと思い立ちました。

金曜日はなんとか9時くらいに帰宅し、例によってコンビニで軽く食べ物を買った後、ボローラと旭川に向けて2時間の疾走。(ところで、このコンビニ通い、行き過ぎだ。そろそろ辞めないとコンビニ破産しそうだな)前日は明け方まで部屋で仕事をしていたせいで寝不足な上に、道路には霧が満ちていて、なかなか恐ろしいドライビングでした。

最近では正月でさえ、「札幌で用事がある」と言ってそそくさと故郷を離れる始末だったので、旭川で何泊かしてユックリするのも実に何年かぶりだし、そもそも、「帰ってノンビリしたい!」と自分から強く望んで帰ること自体が初めてだったと思います。

実家に着くと、自宅浪人時代に俺を支えてくれた愛犬、そして新しい相棒パピヨン犬も、凄い喜び様で出迎えてくれました。でも、まぁ睡眠不足もあったので、軽くご飯を食べた後、思いっきり爆睡。翌日の昼まで死んだように眠り続けました。

高校時代、部活のメンバーの溜まり場的な場所として、よく通っていた喫茶店があります。喫茶店でもあり、簡単な食事もでき、そして絵や写真などのギャラリーとしても使われています。ここを訪れるのは何年ぶりだろう・・・。俺の事覚えているだろうか・・・?と思いながら、扉を開きます。

--- 美味しいコーヒーをゆっくりとすすり、お店の方と昔話をし、壁に飾ってある絵や写真を眺める・・・。それだけを、たったそれだけのことを、俺はずっとしたかったはずだ。なのに、闇の向こうの見えない光に向かって、ただひたすら闇雲に走り続けていた。 ---

週末だけでも札幌を離れようと思った理由、それは落ち着きたかった事に尽きると思います。それと、孤独で無味乾燥で、夢や目標を見失ってただ時間を乗り越えていくだけの、今の俺の生活から逃げ出したかったのかもしれません。

夏休み、そして余りまくっている有給休暇。今の仕事漬けの状況の中で取れるかどうかすら微妙な現状だけれど、まとまった休みをとることができれば、今年の夏休みは本当に久々に全ての時間を実家で過ごそうと思います。

ただ、その時はこの週末と違って、ただノンビリするためだけに帰るつもりはありません。緊張や不安、そして孤独から離れ、リラックスした環境でモノを作ってみるつもりです。大げさに言えば、最後の戦いの場として、俺は故郷を選びました。

でも、半年かけてやろうとしていた大きな事をわずか1〜2週間でできるはずもなく、正直ある程度の妥協と観念も入らざるを得ないかもしれないな・・・と思っています。でも、それでもまぁ、自分で言った事から何もやらずに逃げるよりはずっとマシだと思います。

それに、この半年間ずっと苦しみ続けた末に、俺が得たり感じたりした事。ひとり見た風景。届かなかったメッセージ・・・。
それら全てが糧となってくれる、そう俺は信じている。たとえそれが「訪れるはずもない救い」だとしても。

2002年7月25日

夏が終わる頃、師匠へ

サイトの更新をしばらく休止します。

春の時のような無力感からの休止ではなく、「鳥目V7マイナーチェンジ」のために制作時間を確保するためです。単なる充電期間ですよ。あくまで更新作業に費やす時間を削るためだから、BBSにはちゃんと参加します。

夏が終わる頃に必ず戻ります。
というか、更新こそしないものの、水面下では、できる限りの努力を持って日夜取り組むつもりです。

■■■師匠への私信(まぁまぁ照れなさんなーって事で)

鳥目初期(例の"カワイイ系"だった頃)は、「屋根裏」の見よう見まねというか、構造的には「半ばパクりか?」ってくらいの勢いで、大いに「屋根裏」から学んだものです。

それにしても、「鳥目初代」の前後は懐かしいっすよね。就職活動そっちのけで、屋根裏にはまってたなぁ・・・。お世辞でもなんでもなくて、他の個人サイトとは良い意味で全く違う輝きを放っていた。

今でこそ、鳥目はFLASHという飛び道具なんぞ使っているけど、それでもよく見てもらえば、根底にあるものは初代から何ら変わらないことを感じてもらえると思います。つまり、「屋根裏」から学び、俺なりに受け継いでいるものは、未だ脈々と鳥目の中に息づいています。

技術云々ではなく。
抜群のセンスの良さ、文章の魅力、訪問者とのコミュニケーション、そして、根底にあるコンセプトなどなど(沢山あるけど書ききれない!)。

なんというか、雰囲気とか・・・うまく言葉で表せないけれど、サイトを見た瞬間に今もって感じる「おーっ」という驚きとか感動、そういう部分(技術以上にとても大切な部分ですね)で、師匠は未だに俺の師匠なんですね。

この夏休みは、久々に実家でゆったり過ごそうと思っています。リラックスできる環境の中で、重い腰を上げて、鳥目のマイナーチェンジでもやってみようかと思います。

■■■

2002年7月29日

By the Way

■言葉

言葉なんて卑怯なもんだ。

失敗、挫折、傷、逃走、放棄、裏切り、妥協、嘘・・・。
俺たちはきれいな言葉を吐き出して、それらを体裁よく包み隠そうとする。

キレイゴトに祭り上げることも、包み隠すことも、自己弁護することも、
言葉ひとつでなんだってできる。

自己暗示をかける事だって、間違ってることを正しいと思い込む事だって、
やんわりとトドメを刺す事だって、キレイな言葉さえこしらえれば簡単なことだ。

でも、そんな風にして、一体いつまで逃げ続けるんだ?

■コンビニがオアシス

そのコンビニ。これも、日頃「唯一のオアシス」だのウルサイ西川。

これ、あんまデカイ声で言いたくないけれど(というか、俺の性格を知る人にはとっくにバレていると思うが)、カワイイバイトの店員さんを拝むため。・・・おいおい、相手は高校生だっつーのに。

さすがに手を出しちゃ犯罪もんだし、そもそも、誰かが俺のことを評して「脳内妄想の中では最強のプレイボーイ」と言ったとおりのオトコです、俺は。俺はどうこうするつもりもないし、どうせ店員さんを口説くような勇気もない。

・・毎日ある町に通い、無心で作業をこなし、いろんな事を考えながら・・・というか、暗い気持ちになりながら札幌に帰ってくる。「辞めたい」で出社し、「辞めてやる!」で帰宅する。正直に吐露すると、そんな生活がもうずっと続いてる。それでも辞めずに持ち堪えてることは、我慢強いって事なのか、それとも決断を下せない腰抜け野郎なだけなのか・・・。

そんな日々、あのコンビニに通って買い物し、あわよくば、あの超カワイイ店員さんにレジのキーを叩いてもらうだけで妙に元気が出て、1日の疲れが吹っ飛ぶ。それだけです。

俺にだって、この孤独で暗黒の生活の中で、1日の終わりくらいちょっとした楽しみがあってもいいだろー・・・と、自己弁護しています。んー、ストーカーにならん程度に、淡白なコンビニライフを続けます。

■クロニクル(年代記、編年史)

今はRed Hot Chili Peppersの最新アルバム「By the Way」を聴き込み、そこから(脅威の)前作「Californication」へとバックしています。

カリフォルニケイションは、発表当時は「Parallel Universe」などいくつかの曲を除いて正直あまりピンと来ませんでした。でも、こうして3年経た今、改めて聴き直してみると、なぜだか「あ、けっこういいやん」ってことになるから不思議ですね。作品自体は元々良いものだから、たぶん、俺自身の変化なり成長というサイドの話だと思う。3年も時が経てば、嗜好とか興味も変わるし、考え方すら変わってくるもんだ。

その時はぴんと来ないけど、後からジンワリと、その良さがわかってくる。うーん、いいですね、そういう感覚。

流行り歌を聴いてその時その時に"追いつこう"とするのも楽しいと思うけれど、時のネジを逆に巻いてみて、点(アルバム作品)と点を結びつけてみるのもまた一つの音楽の楽しみ方だと思います。

というか、書いていて思ったけれど、
その時その時を楽しく過ごすのもとても大切。でも、大きな目標の達成や自分の成長のために、辛いけれども時間をかけてじっくり取り組まなくてはならない時もあるよな・・・と、「By the Way」の制作風景を想像しながら、自分自身の気持ちを引き締めているところでした。

他に聴いてる曲も沢山あるけれど、ここで書いたことなさそうなアーティストを挙げるとDOUBLE(いきなりジャンル変わってR&Bっすね)の「Driving all night」。名の通り、まさにドライブに合いそう・・・と聴く度に思っていたのだけれど・・・。実際ドライブしながら聴いてみたら案外そんなにハマらなかったです(モチ良し悪しとは別)。

■影響されやすく、熱しやすく、冷めやすい

そんな訳で、今まで正直あまり聴いていなかったレッチリ音楽に、今更ながらハマりつつあります。俺の場合、何かにハマりだすと、ごく最初の一時期だけ異常なまでに向学心旺盛(というのも変な表現か)になるので、きっとレッチリの場合も、バンドの歴史やら音源やらにいろいろハマって行くでしょう。今もけっこうエネルギーもらえてる気がする。ただ、自己中心的な俺、冷める(つまり、盲目的な感化から解放される)のもけっこう早いんですが・・・。

■ところで(By the Way)

(独り言)人事部の「カウンセリング」。案内書見たときは思わず失笑してしまった。上げられるもんなら、この俺の冷え切ったモチベーションを上げてみろ。

常々思うが、本当に現場と人事ってリンクしていないよな。俺たちが会社で一生懸命頑張ってきた仕事、得たノウハウや技術、プロとして芽生えつつあった道・・・何のためのクロニクルなんだろう。

でも、逆説的だけど、ある意味では今度のカウンセリングは今までで一番楽しみにしています。

■クリエイティブ

「Californication」や「By the Way」のような作品を世に送り出せる、レッチリのその情熱に改めて敬意を表したいと思います。

「作る」「生み出す」という事はとても偉大だと思う。

これはモノに限ったことでなくて、創造的な考え方、ライフスタイル、全てにおいて。「自分が何かをやっている」と言える事は素晴らしいです。

クリエイティブ。そういうスタイルでありたいです。

■■バーズアイV7マイナーチェンジ作業に伴う、サイト更新及び運営の一時休止についてのお知らせ

休止理由:
 今の日常の中で、V7改装作業を行うための時間をなんとか確保するため
予定休止期間:
 本日7月29日より約1ヶ月間です。
サイトの状態:
 全てを公開しておきます。bbsについては、サイト管理者からの返答も致します。
バーズアイV8について:
新型バーズアイ"V8"の制作は断念しました。理由は、中途半端なフルモデルチェンジに、「V8」の冠を頂くようなことはしたくないからです。V8は俺にとって単なるホームページではなくて、今後の全ての活動の土台となるようなサイトにしたかったのです。

V7の枠組みをベースに、手抜きしていた部分を鍛え上げ、V7の完成系ともいうべき姿を目指そうと思います。

というわけで、しばらくお別れです。

毎日のように訪問してくれる人たちには、ホント申し訳ないです。ゴメン。
1ヶ月後には、V7と俺と、装いも新たに戻るんでお楽しみに。

じゃ、バイバイ。

2002年8月20日

otherside

旭川では本当に久々に平穏な時間を過ごしました。

挫折、無力、絶望・・・。長い間に渡って蓄積され続けた心の疲労や傷は、正直思っていた以上に深く、重かったみたいで、夏休みの直前には体調が悪いわけでもないのに吐いたりするまでになっていました(今だから話せる情けない話だ)。

でも、少しずつでも回復しながら生きていかないといけないし、またそうしたいと思っています。なんか馬鹿みたいに単純な話だけれど、楽器さえ弾ければそれだけで良いじゃん!ってくらい、旭川では無心になって久々に楽器を弾きまくっていました。音楽がある限り、何とか生きていけそうな気がする。そのうち暇になったら、本格的に少しずつ再び音楽を始めたい・・・。

鳥目の改装については、なんとなく楽しいという感じ、そして使いやすさや整理整頓第一!で、今までのノウハウを元にかなり磨き上げたつもりですが、どうすか・・・?

でも、・・・うーんやっぱ夏休みの1週間じゃ制作時間時間は足りなさ過ぎー、というのが正直な感想ですね。良い意味でのフラストレーションと言うか、「まだまだこんなもんじゃない」という向上心というか・・・。もし、いつか再び鳥目を改装することがあるなら、今度はじっくり腰を据えて満足いくまでトライしてみます。

* * * * * *

ジョン・フルシアンテが復帰した時、バンドは本当に本当に心の底から嬉しかったみたいだ。再びどん底に陥り、ドラッグに手を染め始めていたアンソニーは、音楽の力で輝きを取り戻した。ジョンもまた、廃人同様の生活から見事に更正したばかりか、バンドに凄まじいエネルギーを与えている。

最強ラインアップの復活。とてつもない嬉しさでいっぱいだった。そんな気持ちで制作したはずの「californication」は、でも、とてもほろ苦く、悲しく、切ないトーンに満ちている。

どうしてだろう・・・?と、ずっと考え続けていた。もちろん嬉しさはあるはずだ。

長い長い地獄の時からようやっと抜け出した時。笑顔には違いない。でも、それまでに受けた切なさ、悲しさ、そして疲れが表情に滲み出てしまうんだと思う。「やっと闇から抜け出した・・・」そんな気持ちが、なんともいえないトーンを醸し出しているんだろう。

そして、最新作「By the Way」では、「人生最良の時だった」とメンバーが語るとおり、闇から抜け出した直後の「疲れ」の表情は薄らぎ、かわって今度は爆発的に前向きなエネルギーが音に込められている。

2002年8月25日

最底辺の人間

土曜日の仕事が翌日までズレ込む事も無く一応スムーズに終わり、この日曜日は休むことができました。なので、午前中早々に軽くジョギングをした後、かなり久々に札幌の町に繰り出してみました。

楽器屋さんに足を運んでみました。楽譜、そしてもうずっと張り替えていないギターの弦を買いたかったのです。それに、10代の頃、音楽系の部活動をやっていた関係で毎日のように通い続けていた楽器屋さん、その独特の空気を久々に吸ってみたかった。

大好きだった店巡り、気の赴くままに服屋さんや雑貨屋さんをさすらう・・・。でも、今日はしなかった。買ったところで、着る機会なんてほとんどないから。

帰宅後、早速ギターと歌の練習をしようと思いました。でも、なんとなく部屋には閉じ篭っていたくなかった。真駒内の公園まで車を走らせ、木々に囲まれながら軽く練習してみました。

今まであまり感じたこと無かったけれど、最近ではこの日曜日の夜が辛い。明日のこと、仕事がまた始まること、いろんなことを考えてると、胃の中が重い感じになる。

カワイイ店員さんがいるコンビニへの通い。あまりに情けないし、軽蔑や非難を受けても当然だけれど、でも、そんな仕事生活の中で、俺の唯一の楽しみであるのは事実だと思います。

以前、ちょっとしたアクシデントがあって、それでたぶんなんとなくお互いに顔を覚えてしまいました。でも、もちろんストーカーじゃあるまいし、あくまで淡々と買い物を済ませるだけ。時々は束の間の微笑ましい会話もあったりするけれど、基本的には、俺は店員さんにとって"大勢の客の中の1人"であり、また、そうであり続けなければ、と思っています。

会話・・・たまにはしたいなぁ、チャンス無いかなぁと淡く思いつつも、このふがいない性格。まして一応「知り合いではない人」相手にそんな滑らかな会話ができるわけもないですね。また、珍しく自制心というか大人びた考えが効いていて、かなり落ち着いた立ち振る舞いをしていたりもして・・・ヤレヤレって感じです。

「んー、いい年して妙に元気でロックな髪形だなぁ、いつも仕事帰りで疲れ切った顔でヒゲだって大根おろせそうな感じに伸びてきてるし、・・・でも優しいお兄さんだなぁ」程度にでも覚えてくれている今、その程度のボンヤリとした接点が一番いいと思います。

と思いながらも、立ち寄った後に感じるのは、どっちかというと自己嫌悪の念。「コンビニ通いが1日の唯一の楽しみ」。挙句、楽しみに毎日通っておきながら、何をどうするわけでもなく。いい歳して何やってんだか、終わってるなぁ、と。今の西川は間違いなく最底辺の人間だ。そう思われて当然だし、自分でもそうだと思います。

そして、また一週間が始まる。

2002年8月27日

大海を見渡す

西興部村の職員様、そして懐かしの旧職場の担当の皆さん

晃太郎です。すいません、現在の担当の仕事が繁忙のため1日も抜けられない状況でして、また僕なりに現在の仕事を中途半端にしないで責任を持ってまっとうしたい(気持ちがようやく出てきた)ため、札幌に顔を出す時間をどうしても作り出せそうにないのです・・・。僕の毎度拙いレクチャーではありますが、それでも楽しみにしていらっしゃったと思いますので、なおさら申し訳なく思います。すいません・・・。今の業務がひと段落したら、誠意を持って責任を持って対応したいと思います。強く思います。

・・・。人事って何だろうね。異動って何だろう。

若い頃は、ある一定の期間が過ぎると、タイムリミットだとばかりに駒のように動かされる。歳を取ると、なかば会社に従わない事への制裁や見せしめの手段として使われたりもする(特に例の"新会社"と"選択"の頃はまさにそうだった)。

現場の声、少しでも俺を必要としてくれるお客さん、そして俺の希望・・・。声は遠くを吹きぬける風のように通り過ぎた。

お決まりのコース?通過儀礼?そんな中身のあまりない儀式、そろそろ考え直す時期・・・。もちろん異動の意味も多々あることを認識している上で、でも敢えて言ってみたい。

でも、不平を言う前に、吐こうが胃が重くなろうが日曜夜が辛かろうが、まずは今の職場、そしてまず現場で俺が今できる最大限の力を出して頑張る。・・・と思い始めた頃から、実は今の最悪なプライベートからは想像も付かないくらい、自分なりに仕事を頑張れているし、まあまあ上手く行っているかもしれない。楽しい環境を作ることができているし、なかなか痛快な結果をたたき出せている。

立場とか下らん儀式とか・・・会社の内側に向いた仕事よりも、お客さんに喜んでもらうために。俺はベストを尽くしたいと思う。

無難とか、安泰とか・・・、そんな内向き言葉と内向きな仕事、たとえそれで"無難に"エスカレーターに乗ったとしても、やってて面白いはずがない。無難なんて言葉、吐いた瞬間に俺はたぶん精神的に息絶えるだろう。顔を向けるのは井の中の蛙に向かってではなくて、外の大海だ。

2002年9月 6日

i could die for you.

何かについて想いを巡らす。

そういう気持ちになれること自体がとても大切なのかもしれない。
報われるかどうか?打算的に考えるのはやめよう。

音楽は、麻薬的なまでに俺を何度も奮い立たせてくれる。
恋は、いつだって生き延びる力を与えてくれる。
音を放てば、言葉を少し交わせば、
行き場のない苦悩なんか虚しいだけだと気づく。

ただその笑顔のために、長い道を乗り越えていく。

簡単なことだった。旅の真実はいつだって簡単だ。
好きなことが元気をくれて、そして、好きなことのために生きていく。

真夜中に家路に着き、疲れ切った表情を浮かべながら、ふと空を見上げた。
深い闇しかないと思い込んでいたそこには、
無数の星達が闇の中で小さな光を放っていた。

2002年9月12日

虚無の中で

札幌で過ごした今日までの生活・・・会社に入って以来だから3年と5ヶ月ちょっとになるのかな、その記憶や想いをふと辿ってみた。

・・・虚無の中に俺はいるんだ、と思わずにはいられなかった。

3年近く、一つの大きな仕事の中に埋まっていた自分。「仕事だけの生活」に抗い、なんとか「自分の生活」を確立しようと気持ちだけが必死だった自分。
俺のちっぽけな一生を捧げて良いと思えるもの・・・大好きな音楽も随分とホッタラカシにしてしまったな。そう、まともに恋を叶えることすらできなかったな。
終わることのない忙しい毎日の中で、俺はまともに物事を考えることすらできなくなってきた気がする。自分が何処にいて何について考えているのか・・・それすらよく分からない時がある。

あの子・・・。そう、あのアクシデント以来だろうか、いつの間にか好きになっていた。俺は助けたんじゃなくて、むしろあの子に助けられたんだ。その子の事を考えると、どんなに辛い時でも笑顔を取り戻し、力がみなぎった。

大人の男の端くれとして、そんな自分を認めてしまっていいのかどうか判らない。でも、この仕事だけしかない生活の中で、そして、仕事を終えて帰宅しても誰にも迎えられない孤独の中では・・・唯一のオアシスだった。ほんの少しの言葉のやり取りだけで、1日の疲れが嘘みたいに消えていった。

でも、そんな生活からも離れて久しい。そして、移り行く虚無の景色の中で、俺は彷徨い続けるのだろう。

俺は虚無の中にいるのか。俺が見たと思った奇跡は闇の中の幻だったのか?ようやくこの手で何かを掴むことができると思ったら、風景は次のステージへと移っていく。結局、いつまでも俺の手は何も握ることはない。そう、見た物を手に触れようとしたその時に、全ての景色は流れ去っていく。

俺は、虚無の中で、踊り、演じ続けるアクターなんだろうか?ミスキャスト?大抜擢?どっちが本当の世界だ?OtherSideでは何が起こるんだろう?

でも、今わかっているのは、ひどく痛む頭ともったりした胃袋を抱えながらも、なんとか正気を保ち続けようとする俺がいるということだけだった。

2002年9月22日

また、旅が始まる。- デザインコンテスト入賞と東京転勤の報告

- 賞よりも嬉しかったのは、やっぱり「俺の作った物が、俺の大切な人に、少しでも感動を届けられたこと」だった。

渡り鳥の目は、俺の何年にも渡る旅の中で見てきた風景と、そこで出逢った大切な人への俺の想いを映し出している。-

* * * * * *

北海道在住のプロクリエイターを対象としたあらゆるジャンルのデザインコンテスト、

「札幌アートディレクターズクラブ(Sapporo-ADC) Annual Competition and Awards 2002」

そのWEB部門に、実はこっそり鳥目を出展してました。夏が終わる頃の話です。

そして、出したことを忘れかけるくらいに仕事の波に飲まれ、自分でも認めざるを得ないほど憔悴しきっていたこの連休(9月14〜16日)に、札幌某所にて公開審査が行われ、結果、鳥目は銀賞と会員審査賞の2つの賞を頂きました(金銀銅と会員審査賞は応募作品の中からそれぞれ1作品ずつ)。ちなみに公開審査の頃、俺はとある街で最後の踏ん張りを効かせながら仕事をしていました。

出展するまでに、あまりにいろんな事があって、大切な人を失って、挙句はV8という夢も捨て去って・・・正直、応募すること自体を諦めようかとずっと思っていました。でも、どんなに惨めな姿を晒してもいいから、とりあえず最後まで完走しよう。そう思っての応募でした。

嬉しい。もちろんとても嬉しいです。でもそれ以上に、上手く言葉で言えない想い・・・どちらかというと切ない風が、今も俺の中を吹き抜けています。喜びの言葉が出ない代わりに、俺の心に吹く風は、俺の顔に拭い難い表情を彫り付けていったのかもしれない。


〜2002年の年が明けた真夜中。
カローラを道の脇に止めて、俺は仲間に今年の目標について珍しく熱く話していた。

俺達が思い描いていた夢の中では、「いっちょデカイ賞でも取って、それをキッカケに、自分達がやりたい事を何でもできる場所、そして仕事の楽しさと手ごたえ感をもっと感じられる場所、"自分達のショップ"を模索しながら作ってくか!」だった。
けれど、今は・・・行動を起こすには、今の俺は一人ぼっちで、そして少し疲れてしまった〜

* * * * * *

そして、俺は、東京に行こうと思います。

半年前とはほぼ正反対の結論です。独立ではなくて、この会社の中にまだ留まっているのだからね。今はもう迷いはない・・・とは言いきれないけれど、いや、あまり考えないようにします。

傍目には栄転と移るのかもしれない。俺自身、入社当初は東京にとっとと行きたかった。でも、時を経た後、そして会社の中からこの会社のいろんな愚かしい部分を見るにつれて、そして、何よりもこの歳に至ってもなお自分の可能性が止め様のないほど膨らんでいく奇跡を実感している今、必ずしも「東京」や「本社」だけが自分の進路ではないように感じつつありました。

そして、今年の目標「コンテスト入賞とショップ立ち上げ準備」という目標の半分を自分の手でかなえた今、正直、東京が以前のような煌きを放ってはいなかった・・・。

それでも東京に行くことを選んだ理由・・・

・今の俺は一人ぼっちで疲れていて、ショップを立ち上げる元気が失われてしまった。
・また元気が戻る時まで、とにもかくにも生きていかなくてはならない。

という、どうしようもないほど後ろ向きな理由です。要するに、食ってくために会社員であり続けるわけだから。これについては、もちろん軽蔑されてしかるべきで、我ながら情けない人間に成り下がったな・・・と思います。

前向きな理由・・・

・19歳の頃、全てを捨てて異国の地・京都に旅立った時の心境に少し近い。
 (今回は京都のときほどには全然深刻じゃないけれど)
・京都の文化に興味があったのと同様、東京の文化にもたしかに興味がある。
・会社そのものへの愛はだいぶ消えたけれど、「インターネットの可能性を切り拓きたい」という情熱は今もあるから。

とまあ、旅人としての視点は今も失われていないみたいで、そういった「地平の先を目指す気持ち」だけが今の俺を動かしているんだと思います。

この件については、随分前から悩んでいたことでもあるし、また追々話します。まぁ、会社への愛が薄れたことは、むしろ逆にプラスに働くとは思います。俺は今まで以上に自由に飛ぶだろうし、それに、結局はインターネットの可能性を切り開くのは会社の「上からの力」ではなくて、俺や個人1人ひとりの「下からの力」だから。

という訳なので、受賞した事はもちろん嬉しいけれど、今はあんまり浮かれてはいません。まず好きな人、次に親、同期たち・・・大切な何人かの人たちに速報という形で伝えたけれど、自慢というよりは、「こんなクソ忙しい日常の中でも、自分とか夢とか捨てんなよー」という俺のメッセージ・・・独り言として、誰かを勇気付けることができるなら幸いです。押し付ける気は毛頭ないけど、ウルサイ説教よりは、こうした実例の方がジーンと染み渡るように希望とか可能性を届けることができるのかな・・・と、暗い自分を棚に上げてポジティブに考えています。

この9月は、朝早くから日を超えるまで毎日毎日休み無く仕事に埋もれ、そして、その仕事に俺はどうしても楽しさと手ごたえが感じられなかった。そんな中「本社への転勤」と「デザインコンテスト入賞」という2つの大きなニュースが飛び込んできました。正直言うならば、コンテスト入賞の嬉しさが5億点だとして、本社移動の嬉しさが−50点といったところです。今の仕事が終わったら、自分の気持を整理するために2週間くらい休みたかったから。

* * * * * *

自分の手で何かを成し遂げ、誰かに伝わる・・・。小学生だった頃、写生会で一生懸命描いた絵で賞をもらった。原点である、と強く思う。人の喜びや嬉しさには、本来、徒にデカイ規模も下らない組織も必要ないんだ。

賞よりも嬉しかったのは、やっぱり「俺の作った物が、俺の大切な人に、少しでも感動を届けられたこと」だった。

・・・俺自身、今のバーズアイを観ているといろんな思いが交錯するよ。

だって、ここに在るのはただのモノではないんだ。渡り鳥の目は、俺の何年にも渡る旅の中で見てきた風景と、そこで出逢った大切な人への俺の想いを映し出しているから。鳥の目は、俺の人生だから。

* * * * * *

旭川から異国の地・京都へ、北海道に戻り、そして最後にカオスの地・東京へ・・・。

俺の人生は、誰かに幸せや感動を少しでも届けることができる代わりに、自分自身はいつまでも触れることのない幻を追い、やっと掴みかけた時に風景が変わる・・・そんな流浪の民のような人生なんだろうと思います。それはきっと運命で、だとしたら、俺は今以上に凄い旅芸人になりたいと思います。これはきっと諦めではないはずです。

2002年9月22日 20:18 西川晃太郎
モスバーガーでホットコーヒーを啜り、
フレッシュバーガーとマスタードチキンバーガーを頬張りながら

2002年10月11日

上司、再生、ロボット、井戸端、インキュベート

ただいま。10月頭に東京に来て早々、なかなか忙しい毎日だ。もう既に2ヶ月くらい居るような錯覚に襲われる。

課長や普段一緒に仕事をするメンバーとも、俺としては珍しいくらい早いペースで打ち解けつつある。というか、単純に居て楽しい空間だ(もらう仕事は時々ヘヴィーだけど)。前の課長は、ついに最後まで接点を見出せなかったっけな・・・。前の前の課長とは、丁度今の課長と同じような感じで、ざっくばらんでフランクな感じだった。上司であり、親であり、友達だった。

だいぶ生命力がみなぎって来た。 俺は、北海道で死んで、東京でまた生まれた。忙しさは以前と大して変わらないのだけど、でも、そこに楽しいという気持ちが加わった。北海道を去るまでの数ヶ月間で、やっぱり相当消耗しきっていたんだと思う。・・・悪口は言いたく無いけれど。

東京で今世話になっている担当は、正直、居心地が良い。来て2週間近くが立つけれど、予想よりもずっと早く馴染んでしまった。漫画になりそうな、味わいある担当構成だ。
そして、仕事自体もこれから楽しくなりそうな予感がする。今は、1日の中で家に居る時間が5時間も無いけれど、それでもまぁ少しくらいなら構わない。

話は少しそれるけれど、「あの担当はどういう評判?」とか「あの部署はカスだ」とか、そういうメールが同報で流れてくる。
同報送信自体は、それがあまりに増えすぎて業務を害しない限り、面白いし、軽い息抜きにもなる。でも、"社内井戸端会議みたいな話"は、正直言って「そんなの言ってて面白いのかな?」と少し疑問に思う。まして、同報送信で流されると、話題にあまり関係ない人にとってはちょっと辛いかもしれない。逆にいうと、社内井戸端会議が面白いと感じるようなら、それはたぶん「会社に(本人が知らず知らずのうち)飼いならされている」、ということかもしれない。会社の井戸の中にハマりつつある、と。
個人的な意見でいうと、雑談程度に面白おかしく話すのはOKだけど、そういう部署の要不要論は俺たちがあれこれ言う問題ではない。そういうことを仕事としてすべき人たちは、随分高い給料をもらいながらやってる・・・ハズだよな。
俺たちのやるべきこと、それは不平だけを言うことよりも、実際に何かを生み出し、形として変化を築くことだと思う。物知り顔で社内情報をあれこれ言うよりも、硬直化した組織をブチ壊す勢いで動くことだ。たとえ"カス"といわれる部署に居たとしても、そこから何かを生み出せる生命力が必要なんじゃないだろうか?

今の気分は、まるでアンソニー・キーディスだ。歳を取ることが怖くなくなってきた。バイタリティとユーモアをなるべく保つこと。それにプラスして、悲しさや切なさ、人生の苦しい時を乗り越え、否応無く感情を体に刻み込んでいく。明と暗、緩と急の融合。歳を取るのはむしろとても素敵なことだ、きっと。

2002年10月16日

Parallel Universe

札幌の某コンビニの店員さん、こんちわっす。み、見てるかな?

別れの挨拶でも伝えたけど、やー、ホンと世話になりました。ところで、店の中で長々話してしまって、ごめん。場所考えろーって感じだよな。大人気ない大人だったね。

先週までコンビニに毎日通いつめていた日々が懐かしいっす。そう、東京での仕事が始まったんだ。

首都圏で生活するという事。住環境、通勤、食べ物・・・、どれを取っても、北海道の大らかな環境からすれば、まるでタチの悪い嫌がらせだよ。

* * * * * *

そんな中で、それでも楽しく生きていくためには・・・、きっと「好奇心」が大切なんだと強く思うよ。

愛しいコンビニ店員さん、仕事漬け生活の中でのオアシスだったコンビニライフ、北海道でやり残した夢、大切な仲間達・・・、いろんな大切な物を置いて、こっち側に来た今、俺はどうするんだろうね?

・・・その好奇心を燃料に、何にも縛られず、楽しく仕事をやっていく。これに尽きると思ってるよ。

もちろん、北海道の事は忘れたわけじゃないよ。たとえば、今すぐにでも札幌のコンビニまで吹っ飛んでいって、レアチーズ買いたい!

・・・でも、んーそうだな、たとえるならば、"北海道側"から見たときに、きっと、俺はもう「死んでしまった人間」として映っちゃうんだよ。

「あの人は、"あっち側"で何をしているのかなぁ」とか「あの人は、北海道でこんな変なことやってたよねー」とか。適当に振り返られ、適当に想像される存在でしかない。悔しいし、辛いし、悲しいけれど、現実だと思う。俺がどれほど想っても、もう何も伝えられないし、何も届かない。それが「死ぬ」ということ。

でも、19歳の時、そして今、2回も死んでしまったけれど、今回はそんなに深刻ではなくて・・・、なんて言うか、閉塞しきった俺自身から開放された気分っていうのかな。そして、偶然が偶然を呼んでか、今はかなり良い環境にいるんだ。

時間と環境に流されるだけの人生・・・適当な時期に人並みのステップを踏んで・・・、なんてどうも俺には考えにくくって。

自分の道を作っていくのは自分自身。自分の気持ちが旅の羅針盤。・・・時々は、どうしようもない孤独と戦いながらね。

2002年11月10日

行動するということ(コンテスト受賞の批判へのコメント)

そういや、随分前の「デザインコンテスト受賞」について、受賞当時からやっぱいろんなコメントを頂いています。

「おめでとう」というありがたい祝いの言葉ももらったし、一方で「(俺が)受賞という、名前や権威みたいなモノを振りかざしたり、寄りかかったりするのは、少し意外でガッカリした」といった批判も頂きました。

俺が今居る会社は、いわゆる"大企業"と言われる会社です。でも、この会社の名前にすがったり「ブランド」として着飾ったり、つまり自分を説明する時に会社の"名前"に頼るつもりは無いです。たとえば、俺が独立起業してアピールする時に「元●●会社の晃太郎です」と開口一番言うことは有り得ない、と。だって、それは俺の特徴ではなくて、過去の所属にしか過ぎない。「●●会社でこんな実績を残しました」ってのはアリだとは思うけど。
そういう意味では、自分の力が直接認められた結果の賞や資格は、たとえば自分で起業してアピールする際に引き合いに出すのも、まぁまだ多少はアリかなとは思います。それは、所属ではなくて、自分の力で刻み付けた足跡だから。

そう、その時、俺は自分が思ってることを愚痴めいたトーンで言うだけではなくて、何らかの形で表現したかったんだと思います。3月から9月までの環境・・・「辞めよう」とまで思い至ってしまった程の葛藤の中で、今後についていろいろ考えていた時に、"理想を口にするだけの男"になりたくない、という意識が強くあって・・・。

賞を取った時、最初は何人かの親しい人を除いて黙っておこうと思っていました。でも、特に同期に向けてメッセージを発したいとも思った(大層なこと言える人間ではないと重々承知しながらも)。
「つまらない、楽しくない、組織が悪い・・・」という同期の声をよく聞き、また俺も実際そう思っていたからその気持ちは十分よく分かる。だけど、その現状を打破しようとする姿勢は正直言うと感じたことはあまりなかった。だったら、同じ悩みを持っている者として、俺が実際に行動し、結果を残すことで希望を示したかった。

まぁ、でもどう弁明しても、行動を起こす時には賛否両論が起こり、是非は問われるんだと思います。俺は、賞を取ったこと自体は、もちろん嬉しい。というか、自分の力で何かを掴むということがこんなに嬉しいということを、本当に久々に再確認しました。でも、一方で「権威主義的、ブランド志向」と批判されることも受け容れます。たしかに「受賞」に喜んでいる自分が居るのも事実。

「ここは会社だから」とか「サラリーマンだから」という枕詞で、会社の不思議な風習や決まり事を無条件に受け容れようとする光景は、支店・本社問わずよく目にし耳にする。そして、結局俺も"時間"という名の流れに飲まれ、否応なく死んでしまった情け無い男。"ドラゴンボール"でも探しつつ、"あっち側の世界"からメッセージだけでも残したいです。どういう道を選ぶにせよ、流れる時間の中で、少しでも自分の頭で自分の事を考えてみよう、と。

2002年12月31日

長介に涙、お土産

帰省ラッシュ、またの名を「航空会社ぼったくり時期」のため、東京8時発という「おじいさま専用ザク」みたいな朝の便しか予約できなかった経緯の為、29日朝10時半くらいには颯爽と札幌の地を踏む。ちなみに踏むまでの移動中の記憶は爆睡のために一切無し。「何で日曜日の朝6時間もない山手線で立ち乗りせにゃならんねん!」とやり場の無い憤りを感じたことだけ覚えている。

さてさて、ここ札幌に来て何をしたかといえば・・・もちろん特に語るほどのことは何もしてない。

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本屋でいかりや長介の自伝「だめだこりゃ」を立ち読みして半泣きした。いやいや、本当に。一瞬涙が零れた。

その他、この2日間で立ち読みが多くを占めるけれど、けっこう本を読んだ。本と言っても大層な物じゃなくて雑誌とかが大半。でも悪くない。

あとは、買い物かな・・・。ウインドウショッピングが殆どだけれど、それでも楽しい。こうして街を彷徨うこと自体、久しぶりだ。

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爆睡の為に一切無し。いやいや、一切ってのは嘘だな。
普段はお土産なんてあまり買わないのに、その朝は羽田空港の出発ロビーにあるお土産屋さんに俺は居て、丸太のように眠っていた頭で、俺はこれから向かう札幌に想いを馳せていた。