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ドンキーの逆襲! アーカイブ

1998年12月 5日

「正義」を振りかざす人

 今日は、10時45分から「少年法」の授業。
先生が雑談の中でこんなことを言っていた。
「昨日の夜、TVで映画やってたんやけどな、主人公が敵をばんばん撃ち殺すんや。彼は愛する人を守るためにやっとるんやろうが、あれは彼個人の正義であって、法的な意味での正義とはちゃうからなー。街中とか歩いててもいっぱいおるやろ、自分が『こうあるべきだ』と思ってることを押しつけて、店員さんに無理難題を言って困らせる人」
 たしかに、と僕も思う。街でも、学校でも、どこでもそういう人は溢れている。ついでにいうなら、だいたいそういう人は往々にして怒りっぽい。先生曰く、「短絡的で、論理性に欠ける」のである。つまり、「自分が正しいと思うこと」が果たして他の人にも当てはまるのか、という考察を経ずに、あるいは自分の考えは当然他人にも当てはまる、という考えに基づいて、相手に「正義」を実行するのだろう。こういう「正義の人」と付き合っていると、正直言って疲れる。それに時々怖くなる。彼ら・彼女らには「must」的な考え方が多いから。

 「君たちの中にもおるんちゃうか、『あの子は僕を愛すべき』と思いこんで、押しつける人。わっはっは」と先生は半ば茶化して言った。これは怖いですね。こりゃ、ストーカーの世界だ。「好きになって欲しいな」と願うことはあってもねー、愛すべき、なんてまるで独裁者みたいなことはとてもとても恐ろしくて僕には言えない。僕にできる全てのことは、道ばたにひっそり咲く花のようにいつか振り返ってくれるのを待つことだけです。

 ところで、授業に出てると、本題よりもむしろ派生的な話や雑談とかから生き生きした知識(生活のエッセンスとでも言おうか)を得られるようだ。僕が4年生にもなって、しかも単位も取り終えてしまっているにもかかわらず、とぼとぼと授業に出ているのは、そういう「ささやかだけど役に立つこと」を期待しているからだったりもする。単なる暇人だからという有力説もあるけど。
 最近の学生さんは(僕も最近の学生だけど、一応)なかなかクールで且つ多忙のようで、出席しなくても単位が取りやすい授業とかは出ないみたいだけど、「何かを吸収しようというアティテュードで挑む限り、いーことあるさ」と僕は思うので、大学生の皆さん、とりあえず出てみましょー。でも、これも正義の押しつけになるのかな。
 オチがついたんで、おしまい。

12月5日土曜日 雨降り

なまらだべ!

 京都に住むようになって、今まで標準語とばかり思っていた言葉の多くが実は思い切り北海道弁だった、ということに気づかされた。
 ゴミを投げる。ゴミを捨てるという意味です。もし、知り合いに北海道出身の人(以下、道産子)がいて、その人に「ちょっと、このゴミ投げてきてー」と頼まれても、どうか思いっきりぶん投げるようなことはしないでくださいね。間違いなく、本人は気づいていないか、気づいていても思わず口から出てしまうかのどっちかです。僕は頭ではわかっていても、やっぱり使ってしまう。「ゴミ投げてー」をこのことを知らない人の前で言ってしまったら、時間止まります。
男:「さてと、今日はこの辺で打ち合わせはおしまいにしよう。」
女:「せ、先輩、よかったらこれから夕御飯でも一緒に食べませんか(どきどき)」
男:「ああ、いいよ(よっしゃー)。その前に後片づけをしないとな。じゃあ、桜子ちゃん、このゴミ投げといてくれる」
女:「えっ?」
こういう感じです。破壊力ありますよー。それにしても、一体どういういきさつで「投げる」が「捨てる」の意味になったのか出身者の僕もさっぱりわからない。北海道は広いから、ゴミ箱もどこかとんでもなく遠いところにおいてあって、いつもダイナミックに投げていたとか。

 体がこわい。体がだるい、疲れた、の意味です。別に紅白の小林幸子みたいに変身して恐ろしい風貌になるわけではありません。

 北海道弁って、標準語として使用している言葉を別の意味で使用しているから混乱を生むんだよなー、と思う。東北弁とかだったら、もう単語からしてヒアリング不可だから「ああ方言だなー」とかえって趣を味わえたりもするけど、北海道の場合、一応単語自体は会話をしている両者が共通に使っているけど、意味が全く違うから「?」を生むことになる。

 「今日のコンサートさぁ、札幌までどうやって行く?」
「うーん、バスじゃぁ渋滞に巻き込まれたりしたら間に合わなくなるしー、汽車で行こうか」
......。電車のことです。まちがっても、北海道ではもくもく煙を吐く機関車が未だに走っているんだー、と思ってはいけません。かなりの道産子は電車のことを汽車といいます。僕もそう。

 大学一年の時、英語の授業で環境問題についてのちょっとした研究発表をすることになった。その時、僕らのグループはかなり気合いを入れて取り組んで、レジュメは相当な枚数になり、冊子状にして閉じることにした。その内容はテーマの性格上どうしても堅いものとなる。それで、レジュメの一番最後に、某馬鹿ギタリストの写真を貼り、吹き出しをつけて、訳のわからん台詞を書いた。さらに、それらのスペシャルバージョンと称して、メンバーそれぞれの故郷の方言を書いたものを幾つか作った。たとえば、愛知県出身だったら「でらだがや!」というふうに。そしてその西川バージョンが「なまらだべ?」である。本当は「なまら」は「とても」とか関西弁の「めっちゃ」に当たる言葉なので「なまらだべ?」というのは厳密には正しくない用法なのかもしれないけど(でも、僕はこういう風にも使うけど)、あまりにも勢いがあって、北海道弁を凝縮した5文字なのでこれに決めた。
 しかし、これは実はメンバーの策略だった。その英語クラスには、僕の好きな女の子がいた。メンバーは彼女に西川バージョンが上手く渡るように、レジュメの配り方に細工をしたのだ。彼女は穏やかで優しい良い意味でまじめな人だったので、このユーモアが通じるのか疑問だったし、それ以上に「西川君って...変な人」と認識される危険性がかなり高かったので不安でもあった。こんな事で恋が終わるなんてあまりに情けないではないですか。
 果たして、彼女は凍り付いた。「に、西川君、これ何?」と彼女は訊いてきた。
「い、いや、これは北海道の言葉で『すごいでしょ?』っていう意味で、『うちらの発表はすごかったでしょう?』という自信を暗に表現したんだよ、たぶん」と僕は無理矢理こじつけた。
「ふぅん...。西川君北海道出身だもんね」
「え、覚えててくれたの?」
「うん。発表、すごかったよ」
僕は彼女が僕の出身地を覚えていてくれたという事実と彼女が僕を褒めてくれたということにすっかり舞い上がってしまい、その時直面していた危機のことを思いっきり忘れてしまっていた。
 そんなこともあった。

 よく北海道出身ということでまわりから時に必要以上に珍しがられ、それがちょっとだけ辛かったこともある。一度、北海道出身ということを口に出してしまうと、多くの人は僕のことを考えるときに「北海道出身」というファクターを分別不可能なものとして組み込んでしまっているからだ。できれば北海道を必要以上にネタにしたくはなかったし、できればゼロからいろいろなことを始めたかった僕としては、相手が「西川は北海道出身だから〜なんだー」「西川君は北海道出身だからお酒強いんだー」などと、先入観を持ってしまうと、「いや、そうじゃないんだ」という気持ち...意地が出てしまい、なんとなく上手くコミュニケーションがとれなくなる。
 でも今にして思えば、逆に北海道出身だからこそ得られた経験や出会いも数多くあるわけで、また、ある意味では、北海道出身ということで一般的な「普通の大学生」のイメージでひとまとめに括られずに済んだ。あまり深く考え込む必要はないのかもしれない。考えすぎるのは僕の悪い癖だ。それが人を傷つけ、自分を傷つけることがよくある。
 ま、よーく考えてみれば、北海道ってところはあまりに内地(本州のことです)と異なるわけで(雪は降り積もる、マイナス21度以上になると学校の始業が一時間遅れになる、気候最高、広い等々)、みんなが珍しがるのも当然といえば当然なのだ。あまり頑なにならずに、もっともっと「ネタ」を披露してあげてもよかったかもしれない。

カレーライス、カレーライス

 カレーライスが大好きだ。殆ど病的といっていい。もしも一週間カレーだけを食べさせるという罰があったなら、僕は喜んで罪を犯そう。もしもカレー王国という国があったなら、僕はそこに永住するだろう。

 高校の頃付き合っていた彼女に好きな食べ物について訊ねられて、カレーライスが好きだと答えたら「子供じゃあるまいし」とクールな感想が帰ってきた。うーん。
 そういえば、僕の高校の向かいには「米米亭」というカレー屋があってそりゃもう頻繁に通った。今でも、帰省する度に一度は行っている。ここのカレー屋の特徴のひとつは「エコカレー」という学生(たぶん高校生)限定のカレーがあるということだ。いくらだったか忘れっちゃたし、今では値段も上がっているとは思うけどとにかく安くて僕らはこれにコロッケを付けてもらってガツガツ食べたものだ。まあ、安いだけあって具は最小限に押さえられた挽肉ベースのカレーなんだけど、当時の僕はそればかり食べていた。今ではビーフカレーとかちょっとリッチなものを頼んでるけど。いや、この顔で高校生ですって言うのはねえ。
 もう一つの特徴は、とんこー生(僕の高校の生徒を指す)の間では伝説となっていると思うが、「超極」である。これ...辛さのことなのだけど、今年('98)の夏に行った時にメニューを見たんだけど辛さは普通を真ん中にした五段階で、一番上が極辛までしかなかった。ということはとんこー生が間違えて認識しているのか、本当に極辛を超えた辛さが隠しメニューとして存在するかのどっちかだ。僕も一度、友達と一緒にどっちが早く食べ終えることが出来るか勝負したことがあるのだけど、途中から勝負うんぬんではなくなってきて、僕は早く食べ終えて無事生還したいとまじで思った。結局、僕は一時間半かかって完食した(ちなみに友人は一時間。負けた。審判役の友人に一口食べさせたが、そっこーで爆死)。今までいろんな極辛物を食べてきたけど、未だ「超極」を越える代物にはお目にかかってない。

 カレーは自分でもよく作る。
 普段はとろいとかやる気ないとか貴重なご意見を頂戴している僕だが、カレーを作る手際の良さだけは半端じゃない。界王拳10倍である。
 鍋いっぱいに作る。一応作り置きという名目である。きっと皆さんもそうするでしょう?でも、鍋いっぱいのカレーはその日のうちに必ず僕の胃の中に収まってしまう。全然作り置きじゃない。たとえお腹一杯になっても、しばらくするとまるで呪いにでもかかったかのように食べ始める。生命の危険すら感じるので最近は子鍋にちょびちょび作るようにしている。カレーライスの食べ過ぎで部屋の中で一人さびしく死んでいくのって、大晦日の真夜中に自転車で雪道を走っている途中に力尽きて死ぬのと同じくらい、僕の中では最も避けたい死に方だ。
 カレーライスを作るのはけっこう楽しい。いつも、その時々に聴きたい音楽をかけながら鼻歌混じりに手を動かす。食材を炒めると、僕の食の欲望を喚起させる匂いが鼻孔を刺す。市販のルーを割り入れると、待ち焦がれたカレーライスとの対面までもうすぐだ。ルー、考えてみると、僕はハヤシライスもかなり好きだし、ビーフシチューも然り、なんだかルーものに弱いらしい。お子様と呼ばれるのも無理ないか。ま、好きなように呼んでくれー。

本当の僕は何処にいる?

 他人とコミュニケートする時に、その手段によって僕のイメージが異なる、とよく相手に言われる。直接対話、電話、手紙等々、それぞれの中にそれぞれの僕がいるというのだ。
 直に面と向かって人と話すとき、特に知り合って間もない頃は、おとなしい人というイメージを与えるらしい。たしかに僕は初対面の人と話をするのがけっこう苦手で、特に相手が可愛い女の子だともう駄目だ。意味もなく照れる。
まあ、ある程度知り合ってからはそれなりに喋るし、凍える吹雪のような寒いギャグを連発するようにもなる。さすがに、関西人の放つマシンガン級のシームレストークにはかなわないし、また張り合うつもりも更々ない。要するに、ごくごく普通だと自分では思っているのだけど。
 一方で、文章上の僕はよく喋るらしい。手紙にしてもとりあえず文章量が多い、と半ば苦情交じりに感想を漏らされる。僕自身、文章を書くことはけっこう楽しく、割に苦もなくクソ長い手紙を書いて、相手に迷惑をかけてしまう。たぶん、口下手の僕としては、ある程度考えを整理してから情報発信できる(あるいは書きながら考えを整理できる)手紙という伝達方法が割りに性に合っているのだと思う。でも、故郷の友達に手紙を書いているって言うと「へぇー案外まめなんだ」とかよく言われるのだけど、そんなに俺って手紙を書くような人間には見えないのか...と考え込んでしまう。んー。

 ちょっと本題からはそれるけど、僕の顔から受ける性格のイメージっていうのもこれまた色々あるらしい。まだそれほど打ち解けていない人とお喋りをする時、自分でも思うのだけど、僕の顔はかなり締まりのない顔になっている。意味もなく笑みを湛え、よく笑う。こうやって文章にしてみるとあるいは好印象と受け止められるかもしれないが、実物はそりゃもう阿呆面だ。2ヶ月ぶりに旅から戻ってきたご主人様を狂喜乱舞して迎える犬を想像していただきたい。それがまさに他人と接するときの僕だ。
 一方で、一人でいる時は傍目には無愛想で時には怒っているように見えるらしい。仏頂面というやつだ。よく大学で、授業の後、友人に「教室で見かけたんだけど、なんか機嫌悪そうだったから声かけなかった」といわれることがある。今までに頂戴した中で最も凄い感想は「鬼神の如き怒り顔」である。たしかに授業中は先生の話を集中して聞こうとして目つきが鋭くなったりすることもあるけど、それを機嫌悪そうと捉えられる僕の顔って一体...と悲しくなる。まあ、仕方がない。


 とにかく、いろいろな「西川晃太郎」が存在してしまっているのだけど、一体どれが本当の僕なのだろうか。それがこの文章のテーマでしたね。
 答えは簡単。どれもが本当の西川晃太郎である、ということです。
 別に、八方美人とかそういうわけではなくて、一般論として人にはいろんな側面があると思う。だから、かつて抱いていた僕のイメージと違う「僕」があらわれた時、戸惑うのはたしかに分かるけど、どうか寛容に「へぇーこんな側面もあるんだ」と受け止めてほしい、と思う。一時だけの印象で決め付けないで、出来るだけ長い時間をかけて、僕というこの混沌とした大地を歩いてみてほしい。

 って、ここまで書いて思ったのだけど、俺は一体誰に向かってこのメッセージを書いているのだろう。

時は緩やかに流れる

 今の自分から過去の自分を見たとき、「よくこんなアホな事やってたなぁ」と我ながら感心したり驚いたりすることがある。
 ガキンチョの頃は、学校通学がすでに一つの冒険だった。毎日同じ通学路を通るのに飽きると、「タイムワープ」と称する秘密の近道を家々の間や家の敷地そのもの、林の中や雪山などから探し出して、そこを通ったりした。今思えば、完全な不法侵入である。でも、そんなことは子供には何の関係もない。冬にはグラウンドで(そこは当然雪が降り積もっていたのだけど)雪中サッカーをしていた。不思議と寒いと感じなかったように記憶しているが、昼休みが終わると教室にはびしょ濡れの上着が壁一面に吊るされていた。子供の頃の思い出は、そんな楽しい「愚行」ばかりで、きちんと勉強したという記憶は殆どない。先生すいません。


 高校3年の時、こんなことがあった。
 雪が音もなく降る大晦日の夜のことだ。その日、僕はどうしても会いたい人がいた。彼女は大晦日から正月にかけて、永山神社で巫女さんのバイトをしていた。僕のすむ北門からそこまでは、冬の場合、車でたしか2〜30分かかったと思う。でも、その頃はまだ免許も持ってないし、車を運転できる親は紅白を見ながら酒を飲んで今にもうたた寝してしまいそうな雰囲気だった。
 自転車しかなかった。
 親が寝てしまうのを待って、僕は物置から冬眠中の自転車を叩き起こし、それに乗って永山を目指した。当たり前だけど、道はツルツル滑るし、第一、半端じゃなく寒い。でも、行くしかなかった。誰にも僕を止められなかったし、僕にも止めることができなかった。
 一体どれくらいの時間がたったのか分からないけど、とにかく僕は神社に辿り着くことができた。彼女に挨拶をして、軽くお喋りをして、お守りを一つ買った。それだけだ。
 家に帰った時、お守りはなくなっていた。たぶん、途中、転倒した時に落としてしまったのだろう。それでもいい。お守りはなくなっても、記憶は残る。僕がそれを忘れない限り。

 かつての僕がしてきたような「愚行」は今の僕にはもう、なかなか出来ないのかもしれない。でも、かつて僕がそんなアホだけど楽しいときを過ごしてきた事だけは、いつまでも忘れないようにしたい。そして、眼前に広がる果てしない大地を、僕のささやかな情熱とともにゆっくりと歩いていきたい。

恋の効用

 僕はどっちかというと余程の不慮の事態が起こらない限り割と平常心を保つことが出来る方だと思う。例えば、試験中にとんでもない失敗をやらかしたり、日常の中で突然悲しい出来事が起こったりしても、何とか表向きは取り乱さずに出来るだけ冷静に対処しようとし、実際それが割と可能であると客観的に思う。でも、好きな人が自分の恋人になってくれたという事実がもたらす精神作用のもとでは、そんなささやかな統制機能は麻痺してしまうらしい。
 はっきりいって、浮かれている時の僕は、そりゃもう阿呆である。
 何をするにも「心ここにあらず」なのだ。デパートで気がついたら目的と全く関係のない女性服売り場でエスカレーターを降りてしまっていて下着コーナーへ迷い込んで赤面したり、CD屋で計6280円のCDを買うのに1万円札を出したのだけど店員のお姉さんが変な顔をするからお金をよく見てみると5000円札だったり、ジーンズショップで気がついたら女性物のコーナーでジーンズを眺めた挙句店員さんにこれ履いて見てもいいですかと堂々とたずねてみたり、洗顔フォームで歯を磨きそうになったり、と列挙に暇がない。へぇーこんな側面もあったのか、と他人事のようにみょーに感心してしまう(感心してる場合ではない!)。まあ、年がら年中腑抜けモードだとちょっと問題あるけど、こういう気持ちになるのって悪くないな、と僕は思う。皆さんどうですか?

 自分でも認めるけど、僕は恋愛についてはいろんな意味で未だに中学生レベルだ。本当に。好きな人を見かけただけでそわそわするし、ましてお話でもしようものなら、「今日は人生最良の一日だ」などとろくにつけもしない日記に記しそうだ。そのくせ、格好いい言葉で言えばシャイなところがあって、目が合うと思わずそらしてしまうし、話していても素っ気ないそぶりをする。こういう僕のようなタイプの男は、女の人にとっては恐らく最も疲れるタイプなのだろうと思うけど。

 ちなみに今は冷静モードですよ、念のため。できれば浮かれ西川に戻りたいけどね。

グウタラ者が何故4年間もジョギングを続ける事ができたのか

 大学に入ってからやろうと思っていた幾つかの事の一つとして、ジョギングを定期的にするということがあった。せっかく大学に入って自由な時間もたくさんできるというのに、なんでわざわざ地味で疲れるジョギングなんぞやるのかと自分でもよく思うのだが、とにかくその時(というのは大学入学を控えた3月くらいだったと記憶している)は、強く望んでいた。
 宅浪時代にも暇を見つけてちょぼちょぼと走ったりしていたが、季節が冬を迎えると、雪が降り積もってしまったため当然走ることなどできず、また受験シーズンに突入したこともあって、僕は冬眠中の熊の如く自分の巣窟に篭り、勉強(または作曲、演奏、読書等々)に精を出すようになった。僕は元々食欲旺盛な方だったから、そんな冬眠生活が体重激増という作用をもたらすことを察するのは田舎の夜空で北極星を見つけるよりも簡単だった。そんな訳で、宅浪時代に終止符を打つ頃には、見事に太った。周りには呆れられ、僕自身も鏡を見る度に唖然とした。だから、ジョギングを始めようと思った理由には、ダイエットという事ももちろんあったと思う。でも、それだけなら、今現在も僕が走りつづける必要はまったくない。だって、体重の方はとっくに元に戻り、今ではかつての僕を遥かに凌駕する身体を得たのだから。
 理由はもっと色々あったような気もする。いや、あるいは全くないのかもしれない。

 今ではもう何だかよくわからないまま、走るという習慣だけがエスカレートしてしまった感がある。

 今でこそ、黙々と走れるようになったけど、最初の頃はそりゃ情けないもんだった。「ふごー、ふごー」という呼吸をしながら走る姿はスクラップ寸前の機関車のようで、足の筋肉はすぐに軟弱な悲鳴を上げて、しまいにゃ突然ギブアップして、主人に路上で不思議な踊りをさせることになる。まじな話、筋肉をおかしくして飛びあがってしまったことが何回かある。そういうのって自分の力不足とはいえ、口惜しい。
 そういえば、ジョギングにしても、キツイ仕事にしても、それに没頭しているとその時だけは辛い事とか頭から消えていません?よく考えるとそれも走り続ける理由のひとつなのかもしれない。辛かったり、悲しかったり、しかも、気持ちのやり場がない場合、「走るしかね--べ」ってことになってしまう。情けないけど。でも、最近、走ることに慣れちゃって、大して疲れないから、走りながら考え込んでしまったり。
 それはともかく、走ることは慣れるとそれなりに楽しいですよ。

 でも、何で4年間も続いたんだろ?ひま人だからかな。これは僕の宿題にしておこう。てな訳で、結局題に対する答えは出ませんでしたっ。そのうち加筆します。

自宅浪人

 初めての大学入試に失敗した後、僕が次年に向けて迷わず選んだ道は、自宅浪人だった。切望していたと言っていい。僕のような人間が予備校のシステムに順応しないであろうということは察しがついていたけど、それを抜きにしても、是が非でも一度は体験してみたかったのだ。

 そこは、喩えるなら宇宙空間のようだった。限りなく自由で僕は何処へでも飛んで行ける。でも、何かを見失った瞬間に僕は宇宙をクラゲのように漂い、闇へ消えていく。そんな空間での生活が、まさに宅浪生活なのだ。
 恐怖もあったけど、乗り越えられるという根拠レスな自信もあった。わくわくしてさえいた。この一年を生き抜けば、僕は僕自身を超えられる、と思ったのだ。

 実際の生活は、殆ど世捨て人みたいなもんだった。殆ど誰にも会わないし、毎日勉強して、ジョギングして、犬の散歩をして(そして、やっぱり楽器をいじくったりして)...という地味極まりない日々だ。家は共働きで、夜は僕が自分の部屋に篭ってしまうので、まじで一日の殆どを一人で過ごした。いや、犬のクロがいたか。勿論、たまに親しい友人が半ば心配して駆けつけて来てくれたり(感謝)、5月までは先に大学進学していた彼女との遠距離恋愛も続いてもいた。宇宙空間の中でも、その時はまだスペースシャトルと命綱で繋がっていたわけだ。
 生活自体は地味だったけど、すっごく密度の濃い日々だった。宅浪生活も夏を迎えた頃には少なくとも学力だけは昔の「俺」を遥かに超え、とんでもない地平まで辿り着いたことが手に取るように分かった。
 
 あとは、心をどうやって強くしていくか、ということだった。
 6月からは、命綱なしでの「宇宙遊泳」となってしまった。ふられたってことです。その彼女とは三年近く付き合ってきたので、さすがにこたえた。でも、三月までは歯を食いしばって頑張らなくてはならなかった。そのまま腐ってしまうことは簡単だけど、それをやった瞬間、宇宙の闇に吸い込まれるのは間違いなかったからだ。
 
 季節は疾風のように過ぎ去り、冬がやってきた。センター試験の季節だ。12月に僕は一つ年を取った。何年振りかで一人で老いた。クリスマスには自分に眼鏡をプレゼントした。ご褒美と思って、ちょびっと奮発した。街中に流れる音楽は去年とは違う響きに聞こえた。
 センター試験の休み時間中、ずっと小説を読んでいた。試験が終わって外に出ると、あたりはもう深い藍に覆われていて、空気が肌を切った。帰り道、僕はずっとウォークマンでエリック・クラプトンの『MTVアンプラグド』を聴いていた。
 くさるほど勉強してきたのだから、点数的にはとんでもなく良かった。でも、だからなんだってんだ?というのがその時の僕の気持ちだった。何点取ったから凄いとか、何処何処の大学に入ったから凄いっていう考え方には本当にうんざりしていた。

 そして自分の心の赴くままに、僕は京都という地にたどり着いた。

 宅浪時代で得たものはたくさんある。直接的には、学力、思考力、知識等々なのだろう。でも、それだけじゃないはずだ。音楽馬鹿で読書なんか全然しなかった僕が、本屋に通うようになり、徹夜をして貪り読むようになった。僕にとって誰が本当に大切な人達なのかということを気付かせてくれた。そういえば、体重も得た。

 心は、ちょっとだけ強くなったけど、その強さは新たな悲しさに打ち勝つことは出来ない。それに、どんなに強くなったところで、いつだって悲しい出来事は僕の一歩前を行っているのだろう。結局僕に出来る全ては、そこから時間をかけてでも立ち直り、また歩き出せるように情熱を保ち続けることだけだ。

1998年12月21日

19の遺言

 今日、23歳になった。
 ま、こういう中途半な歳だと、誕生日が来たからと言って別にそわそわするわけでもなく、いつも通り淡々と一日が過ぎて行くだけだ。何が変わるわけでもない。だって、誕生日の午前0時に、いきなりデスピサロのように変身したりしたら怖いっすよー。変化や成長は気付かぬうちに忍び寄ってきて、ずっと後で振り返ってみて、歩いた距離の果てしなさに気付くことの方が多い、と僕は思う。
 当然、誕生パーチーなんてものはなく、自分で自分にささやかな贈り物や食べ物をプレゼントするだけだ。ここ数年、この「自分に贈る」という行為が定着しつつある。19の時は眼鏡、二十歳はレスポール、21は本、22は西川特製カレーライス。うう、悲しい、虚しい。

 こんな風に、年を取るに連れて誕生日を迎えると言うことはだんだん「とほほ」な哀愁を帯びたものとなっていくと結構多くの人が感じているのではないかな?

 で、もう一つ、殆どの人が何かしらの思いを抱えるであろう誕生日が、ある。
 二十歳の誕生日だ。

 勿論それまでやこれからの誕生日と同様、その日を迎えたからと言って何かが決定的に変わるわけでもない。それでも僕は二十歳の誕生日を迎えるということに、何か特別な想いを抱かないわけには行かなかった。誕生日が近づくにつれて、僕はそれまでにもまして音楽を聴いたり本を読みあさるようになった。まるで、二十歳の僕に譲るための遺産を作るかのように。
 ひょっとしたら若人(わこうど、と読みますよ)の心...打算や先のことなど考えずに無邪気にガムシャラに物事に突き進んでいく心、悲しいことを悲しいことと感じられる心等々...が、二十歳の誕生日という国境を越えることによって失われてしまうんじゃないか、という恐怖感にも似た気持ちがあった。

 そんな気持ちからか、当時、二十歳を目前に控えた19歳の僕は「19歳の僕から二十歳の僕へ」という遺言状みたいな短い文章を書いている。故郷から遠く離れ京都という地で大学生活を送ることを旅と捉えていた僕は、時々「旅の記述」とでも言うべき日記(書かないときは全く書かないから日記とは呼べないけど)を付けるようになった。その中に、超こっぱずかしい「遺言状」も入っていたわけだ。
いやー、久々に読んでみたけどあまりに寒い内容だ。恥をさらすつもりであげてみます。原文そのままです。

19歳の僕から20歳の僕へ送る遺言

 二十歳まであと五日だ。結局僕はたいした成果をあげることなく立ち去るわけだけど、いろいろ学ぶことは多かったように思うんだ。それは教訓としてきっと君のこれからの人生の良い糧となってくれるだろうと思う。僕は君にそれを伝え、そして消えよう。

 君は基本的に同時に幾つもの作業をこなせる人間ではない。それをまず認めなさい。
 君は恋多き人だ。それはけっこう。だがしかし、君は生活の総てをそれに左右される傾向がある。
 君は物事に取り組む際、気が乗るまで相当の時間を要する。が、一度乗り出したら未知数の破壊力をもってして挑む。つまり、パワーをコントロールできないのだ。それを克服しなさい。

ひゃー、寒い寒い。さすが若人の心。
ま、ともかく、その時は僕なりになんとなく切ない想いを抱えていました。

 で、19歳の僕は本当に消えたのだろうか?
「いやー、わりぃわりぃ。なんかやり残したことがあるよーな気がして消えきれなかったさー」とかなんとかいって、まだ僕の中に居座っているような気がする。んもー。おまえを抱えて歩くのは重たくてやってらんねーよ。

 とか思いながらも、けっこう楽しく歩き続けているような気もする。

 願わくば、少年の心を持った大人になれることを。

オールドファッションを食べる

 わかりやすいタイトルだ。
 そう、僕はけっこうドーナツが好きで、今でこそあまり食べなくなったが一時期はばくばくと食べていた。それは何時のことだろう?

 中学時代は自らドーナツ屋さんに入ることはなかった。というより出来なかった。「男が可愛い店に入れるか〜!」ってね。少年の心には様々な垣根があるのだ。
 ドーナツ屋さんによく出入りするようになったのは高校の頃からだ。僕の通っていた高校は市街の中心地にあったため、学校帰りには幾多の誘惑が待ち受けているわけだ。デパート、アミューズメントビル、カレー屋、小物屋等々。まるで地雷がびっしりと埋め尽くされている平野を歩くようなものだ。必ずどこかにブチ当たり、無言の誘いに軟弱な少年の心は負けてしまう。ドーナツ屋さんにしても、いくら「可愛い店に入れるか〜」と意地を張ったところで、3年間もあま〜い誘惑に打ち勝つ事なんて出来やしない。
 それに当時の僕にはとっておきの口実があった。彼女だ。「しゃ〜ね〜な」とかなんとか言って、彼女に付き合って店に入る、という体裁を取れば万事オッケーなのである。

 かくして、僕のドーナツ・デビューは果たされた。

 至福。ドーナツ屋さんでドーナツを食べるという行為はこの一言につきる。
 様々なドーナツがウィンドウを彩り、僕に「さあ、私をた・べ・て」と甘く囁く。木製の家具で囲まれた店内は他のF・F店と違ってアットホームな雰囲気に包まれている。おまけに、バイトの選考基準に<容姿>っていう項目も含まれているんじゃねーかと思うくらい、バイトのお姉さん達はかわいかった(彼女がいたのに不謹慎ですね〜)。BGMも良かった。間違っても、日本のチャートソングなんてかからない。
 コーヒーを啜りながらオールドファッションを食べ、意味のない会話をしながら時間が無為に過ぎてゆく。僕にとっては、その「無為」な一時こそが至福だったのかもしれない。 

 今ではたまに友達とドーナツ屋に行くこともあるけど、野郎数人がのしのしとドーナツ屋にやってきてかわいい空間の一角を占拠している姿は...「んー、ちょっと」ですよね。持ち帰ることが多いかな。でも、勿論今も好きですよ、ドーナツとドーナツ屋さん。

傷つく心は何処へ行く

 一人暮らしをしたことのある人なら少なからず経験したことがあると思うけど、世の中には本当に多種多様の勧誘がある。たとえば、学生の場合だったら、英会話、新聞、パソコン・ワープロ教室、イベント企画会社、カード会社等々。これらの勧誘は電話を通して行われたり、英会話や新聞は直接人の部屋にずかずかと上がり込んできたりもする。はっきり言って、興味のない内容の勧誘話を聞くのは純粋な時間の消耗以外の何者でもない。

 消耗するだけならまだしも、傷つくことだってしょっちゅうあった。
 新聞は大学に行けば主要新聞が揃っているし、英会話にしても高い金を払って慣れない教室に座らされるより帰国子女の友達にでも習った方がよっぽど良いので、勧誘に対してはいつもその旨を伝えて丁重に断っていた。すると彼らは人の話なんかろくに聞かないで、「ええっ?学生なのに新聞読まないの?そんなことじゃ就職できないよ」「この国際化の時代に英会話に興味がないの?そんなことじゃ良いところに就職できないよ」と必ず言った。人を見下すような視線とともに。そしてその後もまるで人を落伍者のように扱った。

 もう余計なお世話もいいとこだ。それに、読まない・興味がないなんて一言も言っていない。僕は僕のやり方でやると言っているのだ。僕のやりたいようにやることが企業に受け入れられないのならそんな会社はこっちから願い下げだ。
 恐らくはそういうやり方も勧誘方法の一つなのだろう、と頭では分かっていても、やはり少しは傷つく。
 大学1年の頃はそんな風によく傷ついていた。たぶん僕が弱いせいだと思うけど、けっこう些細なことでもよく気にかけていたような気がする。

 でも最近はどうもあまり傷つかなくなったような気がする。今も昔もぼろくそに扱われる点では一緒なのだが。どうしてだろう?今では、勧誘の人と談笑できるようにすらなっている。この前は英会話学校から電話で勧誘があったのだけど、電話のお姉さんと一時間近くも楽しくお喋りして盛り上がってしまった。大学一年の僕から比べたら殆ど別人だ。
 勿論、その方が、いちいち勧誘の人の理不尽な言動に傷ついて一日を憂鬱な気分で過ごすということが少なくなるから良いのだけど。それはそれでちょっと悲しい、と思う。 

 出来るだけ心の痛みに敏感でありたいし、出来るだけ自分の感受性を保ち続けたい、と僕は思っている。僕は一応曲がりなりにもモノ作りに携わる人間だし(あくまで趣味の範疇で、だけど)、モノを作るにはsensitivityは欠かせないと考えているからだ。「仏つくって魂入れず」じゃないけど、ある意味作者が乗り移っていない作品は何も語りかけては来ない。

 また、作品云々とは別に、傷つく心はよい意味での若さの象徴だとも思う。誰しも経験があると思うけど、高校くらいまでは本当に色んな事に燃え、苦しみ、泣き、笑った。日常に転がっているささやかな事象がその年頃の僕には「事件」として移った。とにかく色んな事にノミのような僕の心を痛めていた。
 その時は日々を必死の思いで乗り越えているように感じたものだが、今にして思えば自分の日常をドラマ化していたように思えなくもない。何でも大げさに受け止めていたということだ。今も、必死で頑張るときも勿論あるけど昔ほど「ドラマチック」ではない。それは結局自分の心の持ちように帰するのだが、ちょっと寂しい。

 十年後の自分が「傷つく心」をどれだけ持っているかを考えるとちょっと怖い。おそらく、日々の雑多な出来事に揉まれていくらかタフになり、よりスマートに困難を乗り越える術を身につけているのだろう。
 だけど、それは今立っている地点からどんどん遠ざかるということでもあるからだ。

1999年3月15日

turn on the Radio

 よくラジオを聴く。オールナイト日本のように、パーソナリティの喋りと葉書で寄せられるリスナーのネタや意見が火花を散らせる様子を聞いているのも楽しいし、FM放送の、絶えず流れる音楽の洪水に身を埋めるのも心地よい。

 ラジオにはいろんな事を教わったような気がする。それまであまり聴かなかった類の音楽、役に立たないけど面白い話、ちょっとエッチな知識とかも。どれもどちらかといえば、テレビではあまり流されない、あるいは流すといろいろと支障のある話だ。
 テレビに出ているときと比べると、パーソナリティはかなり自由気ままに自分の喋りたいことをつっかえながらも自分の言葉で話す。これはある程度、ラジオ番組における一般論として断言してもいいと思う。変な規制はおそらくテレビよりは圧倒的に少ない。葉書を通してではあるけど、リスナーと直に繋がっている、という実感が本人たちにはあると思う。聴いている側もそう思っているはずだ。だから、彼等は自分の青春時代の間抜けな話や現在の近況をためらわずに詳しく話したりすることが出来る。これは、ファンとの「信頼」関係に基づいているから為せる、と僕は思っている。

 宅浪時代に突入する前、ポータブル・ミュージック・プレーヤーを買った。購入するにあたり、絶対にFM・AM・TVチューナー内臓のものを買おうと硬く心に決めていた。そんな思いを込めて買ったポータブル・ミュージック・プレーヤーは、ラジオ好きの僕にとっては史上最強絶対無敵のミュージックプレーヤーとなった。テープは自分のお気に入りの曲を寄せ集めることが出来るという点で優れているけど、何回も聞き続けているといくら何でも飽きる。そういうときにラジオは重宝するのだ。スイッチをつけると、ラジオ番組からは楽しく悲しく時には真剣な話が聞こえてくる。FMにチューンを合わせれば、そこには未知の曲が珠玉のように広がっている。
 文字通り酷使というべきかなりヘヴィな使い方をしていた。"歩くプレーヤー"なのにも関わらず、歩きながら使用した頻度は全体の使用頻度の10%位だと思う。実際に多かった使用方法は、「チャリこぎ着用」と「run-man」だ。「チャリ〜」は主に通学途中に自転車に乗りながらヘッドホンを着用するというもので、音楽を聴きながら自転車をこいでいると、普段の1.5倍くらい早く走れるような気がする。だけど、いうまでもなく危険極まりない乗り方で、お巡りさんとすれ違った場合、運が悪ければ注意されるような気がしないでもない。僕はまだないけど。「run-man」はもっとすごい使い方で、文字通り、ジョギングしながら聴くことだ。これは振動が機械によくないし、汗でべたべたになるしで間違いなくウォークマンの寿命を縮める。でも、音楽を聴きながらジョギングをするのはとても気持ちのよいもので、なんだか永遠に走り続けることが出来るような錯覚に陥る。

 京都に着てからもラジオ好きは変わらず、むしろ暇な分だけ聴く時間が増えたような気もする。真昼間から大学のベンチで寝っ転がり、青空を眺めながら「無敵」プレーヤーでFMを聴くととても良い気分になれた。ただ、DJが面白いことを言った時はやはり思わず笑ってしまうのだが、傍目に見ると一人ベンチでニタニタ笑うただの危ない人にしか見えないところが辛い。
 2年の頃までは、田辺キャンパスという、京都府の南に忘れ去られたかのようにポツンと位置する静かなキャンパスに通っていた。語学の勉強などで忙しかったにもかかわらず、妙に暇だったような印象しか残っていない。近くに遊び場がなかったからだろう。ただキャンパスはだだっ広くて見晴らしは最高だったので、別に遊びに行かなくても、芝生の上でパンでも囓りながらFMを聴いていれば、それはそれで悪くはなかった。
 京都の話に入ってからFMばかり話題に上っている。これはどうしてかというと、残念ながら京都に来てからまだ面白いAMの番組に出会っていないからである。だから、京都ではオールナイト日本以外、まずAMを聴くことはない。申し訳ないけど。でも、かわりといっては何だが、FMは充実している、と僕は思っている。地元放送局があるのだけど、僕は何を隠そうそのヘビーリスナーである。どの番組も一定以上の水準を保っていて、僕は楽しく聴くことができる。

 そんな僕がそもそもラジオを聞くきっかけとなったのは、中学一年の吹奏楽部の夏合宿のとき、友人が「面白い番組あるから」と僕に一緒に聞くように勧めてくれたことだ。その番組はたしかにとてつもなく面白く、それからというもの、僕は旭川を離れる日までその番組をやっていた某アナウンサーのいろんな放送を聞きつづけることになる。あの時勧めてくれた友達は今どうしているのかな。

悪態の多い料理店

 僕が頻繁に利用する食堂でのこと。盛りつけ係の殆どの人はすごくまじめに働いていて尊敬に値するのだが、ごくまれにそうでない人もいる。社会の常だ。彼ら、というよりおばさん達はぺちゃくちゃよく喋り、誰かへの悪態をついていることもある。
 ある日僕が料理を注文するために「すいませーん、ささみチーズフライ一つくださーい」とカウンターを挟んで向かいの盛りつけのおばさんに注文したのだが、喋っているばかりで全く反応がなかった。聞こえなかったのかな?と思って再び声をかけようとしたその時、「どがんっ!!」という音とともにささみチーズの乗った皿がカウンターに威勢良く置かれた。まるで元気なかけ声と全ての趣を取り除いた寿司屋だ。「...そんなに力が有り余ってるんなら運送屋にでもバイトに行けばいいのに」と内心僕は思ったがもちろんそんなことはいわない。それにしても、いくら夕飯時のために学生達で混雑していたからといって、この対応はちょっとなぁとさすがの僕も少々不快に思った。最初は「俺、なんか悪い事したかな」と僕の方が申し訳ない気になってしまったりもしたが、実はこのおばさん、かなり前からいろんな学生にこの問題を指摘されている人なのだ。こんな配膳をされた日には、飯もまずくなって誰かに文句も言いたくなるかも。

 イタリアではよい店の条件として、料理の味が良いのは勿論のこと、店の雰囲気も重要なポイントの一つだという。イタリアでは一番美味しいのはマンマ(お母さん)の作った飯と決まっている(マンマが勝手に決めている)から、ただ単にうまい物が食べたいだけなら自分の家で食べた方が早い、という考え方である。だから、リストランテ(レストラン)には、例えば親しい仲間と楽しい一時を過ごしたい時などに、リストランテでしか味わえない何か特別なものを求めてやってくる。それは、店員のさり気なくて気に障ることのない、しかし行き届いたサービスであったり、内装や食器のセンス、ちょっとお喋りな店長との楽しい会話だったりする。逆に言えば、そんな特別さが、料理をもっと美味しくしているとも言える。

 イタリアの至高のリストランテを「天国にあって可愛い天使のウエイトレスが優しく僕のお世話をしてくれる食堂」とするならば、その日僕が入った食堂は「薄暗い洞窟の中で山賊共に『オラ、早く食え』といびられながらいそいそ食べる食堂」だった。勿論、その日にそんな悪態を受けなかったらそこまで印象が悪くなることはないし、食後にコーヒーを飲もうと思って自動販売機のあるところへ行き、自販機の前で「あれ、おかしいな、コーヒーが出てこんぞ」と思ってよく見るとお金を入れるのを忘れていたりという「心ここにあらず」状態になったりはしない。勿論、料理なんてさっさと食べ終えて食堂を後にした。その食堂は最近赤字が続いていて苦戦しているようだけど、こういうところにも客足を遠ざける原因がある、ということをもっともっと自覚して欲しい。とここまで書くと、どの食堂かはこのHPの常連様にはバレてしまうかな。

撤退戦ファイナル

(注:この文章は引っ越しも押し迫った3月中旬に書き留めておいたモノです。読むと疲れます。僕も書きながら疲れた)

 3月に入っていよいよ引っ越し準備も本格化してきた。僕は2年前にも京都府京田辺市(当時は綴喜郡田辺町)から京都市内への引っ越しを経験しているが、あの頃より今回の引っ越しはもうちょっと大変かもしれない。

 引っ越しにまつわる諸々の作業を行うことは純粋な時間の消耗だ。これは間違いない。この世の中の数少ない真実だ。

 まず第一に諸手続が半端じゃなく多い。これは齢を重ね、自分を取り巻く環境が巨大化すればするほど、その総量は増大する。転出転入届やら、国民年金やクレジットカードの住所変更届やら、電気・ガスの閉栓手続きやら、携帯電話の解約やら、ああもう考えただけで意気消沈。2年前は僕の生活というものは簡素でハッピーなものだった。クレジットカードや携帯電話なんて当然持っていなかった。電話なんて自宅のものすらほとんど使っていなかったのだから。それが今ではこの通り。すでに8割型の手続きは終了したのだけど、疲労の色濃し。
 僕は元々電話で問い合わせることがあまり好きではない。僕は喋りで人に何かを伝えることが極端にへたくそだから、普段面と向かって人と話すときは「それあれ」という代名詞を用いながら、身ぶり手振りを交えて無理矢理伝えようとする。そんなわけで、店先や受付などで手続きが可能な場合は、面倒でもわざわざ足を運ぶ。きれいな受付のおねいさんともお話できるし。そんな僕が己の放つ言葉だけが唯一の情報伝達の手段である電話応対において僕の言わんとする情報を伝達することは非常に困難なことだし、したがって精神的に消耗する。できないわけではない。もう23にもなるんだし、人任せにするわけにはいかない。いざ電話をかける段になると、びしっと気合いを入れて、戦闘モードに切り替えれば大体において事はスムーズに運ぶ。でも疲れるのだ、とにかく。

 それから荷造りに時間がかかる。僕は学生という、時間に比較的に余裕のある身分だったからまだそれほど困りはしなかったが、サラリーマンの人達とかは、そりゃもう絶対時間の確保の問題で苦労するだろう。よく引っ越し会社で梱包から何から全て任せる「お任せパック」の様なサービスをしていて、けっこう需要もあるみたいだけど、ああいうのはまさに働く人達が利用するからなのだろう、と思う。
 荷物を整理しているときに、懐かしい思い出の品々が出てくるともう駄目だ。その時に抱えた想いがよみがえってきて、時を忘れて見入ってしまう。こういうときの時間の経ち方って何であんなに速いんだろう?特に収集癖のある人にとっては、この作業は困難を極めるのではないだろうか?一回一回荷物をしまうたびに、「ああこれはあの時苦労して手に入れた思い出のレコードなんだよな」とか感慨に耽ったりしてね。僕はどうかというと、この4年間の間に膨大な量の本とCDを購入したので、プレーヤーにセットして聴いてみたりなんかして全然作業が進まない。

 撤退戦。京都という土地は、僕にとって通り過ぎる風景の一部なのかもしれない。そして、僕という存在はある意味「異邦人」に過ぎないのだ、京都にとっても、僕が好きだった人にとっても。
 夏休みなどを利用して帰省するたびに僕はそのことを強く感じ続けていた。だから、単なる休み前の大掃除を僕は大袈裟にも「撤退戦」と呼んでいたのだ。発つ鳥は跡を濁してはいけない。

 さよなら、京都。

...Maybe I'm a migratory bird.

消えゆく花のように - fading like a flower

〜(every time you leave)/ROXETTE(『JOYRIDE』収録)

今、ロクセットのことを覚えている人はどのくらいいるのだろう。

 僕がロックばかり聴いていて、変な意地みたいなものもあってなかなか素直に「普通の」曲を聴けなかった頃に、この曲と出会った。きっかけは何を隠そう高校の頃付き合っていた彼女である。毎日フル回転しているテープにもさすがに飽きが来て、「なんか良い音楽ある?」と彼女に聞いてみると、「じゃあ、こういうのも聞いてみれば」と一本のカセットテープを貸してくれた。カセットにはビリージョエルの「オネスティ」やエンヤの「Evening Falls...」などいろんな人のいろんな曲が入っていた。ごちゃ混ぜ、である。その中にロクセットも数曲入っていたわけだ。

その音が筆となって聞き手の心に様々な情景を描く曲は記憶に残る。今、久々に「消えゆく花のように」をリピート再生で何回も聞きながらこの文章を書いているのだが、このことを改めて思った。もちろん、景色は人それぞれでいい。同じ曲を聴いて一方が海を感じて、他方が空を感じることだって十分あり得る。ちっとも悪くない。ちなみに僕はこの曲を聴くといつも大地を思い浮かべる。アメリカのどこかに横たわっていそうな、地表がからからに乾いた夕日を浴びる大地だ。そして、昔見たその風景は今の僕にも見える。そんな曲っていいな、と思う。

 「消えゆく花のように」はイントロとかギターのなかにロックっぽいアプローチもあるけど全体としては良質のポップだ。本人達は「力強いバラード」と言っている。たしかに。イントロは定番と言ってしまえばそれまでなのだが、それでもこういう入り方は格好いい。元々土の匂いのする歌だと思うが、さらに泥臭くアレンジしてバンドでもっと乾いたサウンドで演奏してみたら実はかなりはまるんじゃないかという気がする。歌詞的に言えば、どちらかというと切ない歌なのだが、深みにはまることなく、むしろ潔ささえ感じさせるサウンドが心地よい。曲自体もコンパクトにまとめられ、且つしっかり構築されている。

 95年に出たグレイテストヒッツ(この年は雨降りの後のタケノコの如くグレイテストヒッツが発売されましたね)を聞けばわかると思うけど、ロクセットは良質なポップをたくさん生み出してきた。アルバムにしても、いわゆる捨て曲や手抜き曲というものが圧倒的に少ない。よく日本ではCMソングやシングル曲を気に入って、収録されているアルバムを買ってみたら、他曲はとても聴けたもんじゃなかった、ということがあるみたいだけど(ありますね?)、彼らには、曲の好みの問題を別にすれば、あまりそういうことはないと思う。ただ、ロクセットはマリーとペールが半々くらいの割合でヴォーカルを担当するから、たとえばマリーの声を聞いてファンになった人が、ペールの歌う曲にがっかりするということ(またはその逆)はひょっとしたらあるかもしれない。いずれにしても、曲を、しかも良質の曲を産み続けるということは並大抵のことではない。音楽が好きという情熱と才能のなせる技なのだろう、と僕は思う。

 岩のように重い僕の扉をこじ開け、「普通の」曲の素晴らしさを教えてくれたこの曲に感謝。もう、そんなにしょっちゅうしょっちゅう聞くことはなくなったけど、「消えゆく花のように」とこの曲を生んだロクセットのことは忘れることはないと思います。

 ちなみに、今年の夏('98)久々に元彼女さんと偶然会って色々楽しくお喋りしたのだけど、カセットを借りたおかげでいろんな曲を聴くようになった、という話をしたら、元彼女さんは「へ、ロクセット?誰?」と素晴らしく明確な返答をしてくれた。昔はさんざん僕に勧めて、自分は勝手に舞い上がっていたのだけど。時は僕が思っているよりは早く流れるのかもしれないな。