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1998年12月28日

旅としての大学生活(前編)

 今日は12月28日月曜日。1998年も今週で終わりだ。

 今、大学のラウンジでこの文章を書いているのだが、校内は信じられないくらい閑散としている。もともと、うちの大学のキャンパスは静かで落ち着いた雰囲気を湛えているのだが、今日の静けさは格別で、特に建物の中に入ると、本当に物音一つ聞こえてこない。古びた校舎や百年以上もそこに根を張っている椋の木は太陽の斜光を浴びている。何だか、忘れ去られた楽園のようだな、と僕は思う。

 大学はとっくに冬休みに突入していて、用もないのにわざわざ大学に足を運ぶ人なんていないのが当然だ。それに殆どの人は帰省してしまっている。まあ、中には僕のように家にも帰らず暇を持て余してとぼとぼとやって来る人もいるけれど。

 なんだかんだ言って、結局この大学と4年間も付き合ってきたわけで、別に愛校心という程の大仰なものは更々持ち合わせていないけど、でも、この風景に馴染んでしまっている自分を発見して驚く。1年の頃なんて、自分がこの大学にいることが物凄く場違いな気がして、酷い焦燥感を覚えたものだが。

 どうしてあの時僕は場違いな感覚に囚われ続けたのだろう?

 自宅浪人生活も半ばに差し掛かった頃、僕は「旅」に出たいと思い始めた。それは、地理的な意味での旅であり、「心の放浪」という意味での旅でもあった。どうしてそんなに旅を求めたのかは、旅を終えようとしている今も分からないままだ。おそらく、大した理由なんて無いのだろう。

 今でも良く覚えていることがある。高校を卒業して、何処にも属さず、みんなの前から姿を消した4月のことだ。
 散歩がてら旭岡をぶらぶら歩き、小高い丘の上に立ち、眼前に広がる旭川の街と透き通るように青い空を何気なくぼーっと見ていて僕はふと思った。「ああ、俺の青春は終わったのかなぁ。これからは若いYちゃん達の時代だな」と。Yちゃんというのは僕のエッセイの中にも出てくる、僕が大晦日の夜・・そう、雪の降りしきる夜に自転車を走らせて会いに行った友達のことだ。どうしてそんなことを思ったのか全く分からない。多分、自宅浪人という厭世的とも言える環境に身を置いている内に訳の分からないことを考えるようになったのだろう。
 でも今にして思えば、そう思ったことはある意味では正しかったのかもしれないけど、一つだけ決定的な間違いがあった。それは、僕はまだ情熱を絶やしてはいない、ということだ。ひどく抽象的なものの言い方で申し訳ない。でも、僕が5年間抱え続けてきた想いの独白と思って許して欲しい。 とにかく、僕はもう少しだけいろんな事に対して情熱を胸に頑張ることが出来る、と今は確信している。「もう少しだけ」が一体どれくらいの時の流れを指すのかまではちょっと分からないけど。

 その出来事・・旭岡での出来事から初夏までの間に、僕の身に悲しいことや辛いことが矢のように降りかかった。その悲しさに身を溺れさせるのは簡単なことだったが、それだけは避けたかった。僕がいくら悲しみに暮れる間にも世界は変わらず回り続ける。誰も僕を待ってはくれないからだ。
 そしてその頃から、僕は外に目を向けるようになった。僕のちっぽけな世界から抜け出して、見たことのない風景を見、聞いたことのない音を聞きたい、と真剣に思った。

 そして、僕は京都という地を選んだ。

2001年4月 1日

優しい顔

2001年4月1日 日曜日

 とても早い時間に目覚めてしまった。熟睡できない日が少し続いている。
 道の雪もすっかり融けた事だし、気分転換に久々に長距離ドライブに行こうと思い立つ。季節は、もう春だ。
 実家・旭川に少し立ち寄る事にする。

* * *

 弟と俺とは、見た人10人が10人とも口を揃えて言うほど、全く似ていない。もちろん高めの背丈や細めの体型など、大まかな部分は共通だ。でも、顔もそうだし、性格や考え方、喋り方、趣味趣向、服、とにかくあらゆる面で全然違う。共通項と言えば、互いに小さい頃から親しんでいる音楽、ドラムとギターの演奏くらいだ。

 パッと身の違いを弟による言葉を借りて言うと、俺は「優しそう」、弟は「悪っぽい」という表現になるらしい。歳も俺のほうが年下にすら見えるらしい。

 でも、タイプは全く違うけど、仲は悪くはない。というか、歳が少し離れているせいもあってか、昔はたしかに会話する事もあまり無かったけど、でもこの歳になって、そこそこ喋るようになった。

 そう、例えば、特に俺が自分の同級生とばかり遊んでしまい、弟の事をかまってやれなかった事がある。当時の事を思うと、すまない気持ちでいっぱいになる。俺が同級生と遊んでいる時、まだとても小さかった弟が「混ぜて」と言ってきても、俺は「今友達と遊んでいるから駄目」と、断った。そして、弟は当時の事を覚えていて、「あの時遊んでくれなかったの、ちょっと辛かったんだぜ」と懐かしげに話す。


 長い歳月を積み重ねてからしか気づく事のできない気持ちもある。それは大抵の場合、後悔とともに学ぶ。俺のように。失敗や悔いからしか、人は学べない。


 俺は思うのだけど、たとえ兄弟姉妹の間で上手く行かない関係にあったとしても、決してギクシャクしたくてしている訳ではないはずだ。誰だって、話すための突破口を見つけたいし、キッカケさえあれば堰を切ったように喋り、距離を近づけることが出来るはずだ。
 以前、姉妹の関係で少し悩んでいた友達がいて、でもあるキッカケから、今では羨ましいくらい仲が良くなっている。そう、血の繋がっている者同士、誰だって本当は話し合いたいはずなのだ。

 タイプは全く違っているけど、俺は弟の事を尊敬している部分が沢山ある。羨ましいと思う部分、それはつまり俺が持っていない部分と言う事だけど、「弟のようになれたら」と思うこともたまにある。いや、最近ではけっこうある。

* * *

 「兄貴は優しすぎるんだよなー」と弟は言った。

 「西川くん、気を使う事ないんだよ」。「晃ちゃん、人の面倒ばかり見ないで、自分の事も考えようよ」。あらゆる人に言われる。
 でも、気を使おうなんて思ってしている訳じゃない。大体、気を使ってる程の事をしてるという感覚は無かった。俺は大して気なんて使ってないとすら思っていた。気なんて使っていない、自分の相手に対する気持ちから出た自然の行為だ、と思っていた。


 想いを伝える事が下手だ。泣きたくなるほど下手だ。
 そして、その事が過去に自分の恋人をどれだけ傷つけ、失望させたかと思うと、耐え難いほど切ない気持ちになる。

 好きでありながら、淡々と振舞ってしてしまう。好きなのに、そっけないそぶりをする。


 いつの頃からだろう・・。「気持ちの一方通行は相手に負担をかける」と、俺は必要以上に思い続けてきたのかもしれない。
 「今は、相手が疲れている」「今は、そういうノリではない」・・相手の雰囲気を感じとってから動こうとする、悪い癖が知らず知らずついていたのかもしれない。

 弟が「気を使いすぎると、相手が引く時もあるからさ、もっと強気で行ってもいいよ」と、俺にアドバイスしてくれた。

 俺は一体何を恐れていたんだろう? どうして自信を失っていたんだろう? そう、俺はもっと自分の想いのままに動いてよかったはずだ。


 いい歳してるのに青臭いと言うか何と言うか、好きな人に自分の気持ちを伝える事がどうもうまく出来ない。だから相手が甘える隙を作ってあげられない。本当は、もっともっと近づきたい。でも、手を伸ばせばすぐ届くはずなのに、俺の想いは何処にも触れることはない。


 優しさって何なんだろう? 思うと胸が苦しくなる。相手の気持ちを思ってしたはずの事が、逆に相手を苦しめる。俺のちっぽけな優しさは、求められていない。俺はどうすればいい?

* * *

 と言う話を、母親が営んでいる小さな焼肉屋で、おいしい肉を焼き、頬張りながら、弟カップルとワイワイ喋っていた。もちろん実際は笑い話のネタとして、面白く喋ったけど。でも、俺は自分のちっぽけな優しさとやらに、かなり悩んでしまっている。
 俺の家族は、過去にまぁ幾つか暗い出来事や重い現実がいろいろあったので、正直よくここまで回復したな、と想う。一時期は家族がバラバラになるんじゃないかな、とすら思ったものだった。でも、俺も家族も全てを乗り越え、楽しく気丈に生きている。

 心の痛みや哀しみ、苦境、失敗、そして喪失・・人間は何かを失う事と引き換えに、何かを学び、次へ繋げていく。悲しいけど、切ないけど、俺たちはこうして生きている。

2001年5月 6日

文章を書くという事

 自分が文章を書くなんて、しかも毎日毎日こんなに沢山の文章を書くなんて全く思っていなかった、というのが正直な気持ちだ。でもホームページを始めてから2年と半年の月日が経ってみて思ったのは、「文章を書くという行為は、意外と俺の日常にしっくり馴染んでいるかもしれない」という事だった。

 鳥目でやりたかった事、それはやっぱり僕が書いた拙い文章を載せる事に尽きると思う。初心であり、原点だ。

 「仕事で疲れていても、時間がなくても、誰かに何かを伝えたい時も、何も書く気が起きなくても、一日を終えようとしている深夜には、パソコンに向かおう。スピーカーから流れ出る音にボンヤリ耳を傾け、落ち着ける飲み物でもゆっくり飲みながら、ひたすらボーッとパソコンの画面を眺めよう。そして書く気が起こったら、その時はコツコツ俺の文章を書き留めていこう」と改めて思った2001年のゴールデンウィークだった。

2001年5月14日

去った先輩、残された俺

 (今日は、鳥目を立ち上げた頃、俺が大学4年生だった頃の話をポツポツと)

 大学4年の冬、誕生日に鳥目を立ち上げた。底冷えといって、京都の冬は嫌な寒さを伴う。部屋でブルブル震えながら、コーヒーで体を温め、鳥目をせっせと作っていた。

 ホームページを持った理由。それは、ライフスタイル全般に於いて、自分が活動していく為の土台みたいなものを、他ならぬ自分の手で作りたかったからだったと思う。自分が作ったものを置いておく場所・・・創作活動上の基盤のようなものを作りかったし、それに即座に反応がもらえるWEBという仕組みに可能性を感じていた。やっぱり自分の気持ちが入ったモノに対して何らかのコメントをもらえるのは単純に嬉しい。モノ作り人の原点だ。

 今では面倒くさくて鳥目の宣伝活動なんて殆ど全くしていないけど、立ち上げ当初はそんな思いがドカンと噴出したばかりという事もあってか、宣伝も割と頑張っていた。うーん、あんな拙いサイトを宣伝していたかと思うとかなり赤面ものだけど。くどいようだけど、初代は何故か外見的にメチャメチャ可愛いサイトだった。
 何人かの京都のクリエイター達ともネット上で交流があった。ネット友達のカウンターのキリ番(2000とか2222とかキリのいい数字)をゲットして、ちょっとした景品をもらったりもしていたな。
 写真、イラスト、文章・・・当時は、そういった創作者達のサイトばかり回っていた。見るサイト全てがカッコよく、斬新で、勉強になった。俺にとってクリエイター仲間の皆が皆"先輩"で、あの頃はネットサーフィンが楽しかった。

 そして、2年半の月日が経ち、"先輩"達のサイトは次々に休止し、閉鎖していった。鳥目の立ち上げ当初からのネット友達で、今もサイトを続けている人は、もう殆どいない。なんだか俺だけぽつんと取り残されてしまった気がして、ちょっとだけ寂しい。
 ネットサーフィンもすっかりしなくなってしまった。宣伝する元気もどんどんなくなっていった。鳥目が単なる苦悩の吐き出し場所になっていた。それは自分自身にしか発していない言葉の群れだった。

 そうして俺は「誰かに何かを伝える」という初心を忘れていった。

 2001年のゴールデンウィークは、ひたすら創作のための下準備に費やした。勉強や練習に明け暮れた。そして錆び付き始めていた俺の感性を磨こうとした。そうして鳥目も6代目に入った。デザインは全く違うけど、アティテュードの面で初代に戻った。俺は、作る意欲や楽しさ、「誰かに何かを伝える」事を思い出した。

 昔からの"先輩"は、もう殆どいない。俺独りで頑張るしかない。
 でも、なんだか続けていけるような気はする。何よりもまず、やってて楽しいという気持ちがある。ホームページで観る人を楽しませたいという欲も戻った。そして、「穏やかだけど破天荒」という、全く何を考えているんだか訳の分からない強気の俺を取り戻している。

2001年5月22日

懐かしい風 〜LOVE PSYCHEDELICO〜

 音楽そのものが持つ力以外に、LOVE PSYCHEDELICOが驚異的なヒットを遂げた理由を僕は上手く説明できない。

 正直言って、外見的には地味で大衆受けするようには思えないし、マスメディアにもあまり顔を出さない。別に喋りが楽しいわけでもない。何処かしこでもその姿を目にするようなプロモーションも勿論しない。強いていえば、印象的でクールなジャケットワークで若い人を惹きつけたのはウマイな、と思ったけど、まぁ中途半端に洒落てはいるけれど結局何を表現したいのかよく分からない昨今のデザイナーズCDジャケットよりは、よっぽどいいと思う。

 僕がラヴ・サイケデリコを知ったのは、ある深夜に相棒ボローラと共に夜道を走りながら聴くともなく聴いていたFMラジオがキッカケだった。どんな人が歌っているのかは勿論の事、どれだけ売れているのか?TVにはよく出るのか?発言は?ファッションは?などといった事は全く知らなかった。前情報なんて殆どなかった。

 でもそんな事はどうだってよかった。So What??

 オンボロ車のスピーカーから「LADY MADONNA」がクールに放たれただけで、「LAST SMILE」が切なく響いただけで、その懐かしい音に僕は打たれた。

 デリコの音楽は、勿論新しい。懐かしい匂いがするけれど、とびっきり新しくて、21世紀的でクールなサウンドだ。でも、やっぱり何処か懐かしい。

 いや、懐かしいというよりも、今も昔も変らないものを、デリコの音はそっと大事に抱えているような気がする。

 あるいは、人はそれを普遍性と呼ぶのかもしれないけど、そんな小難しい言葉は必要ないと思う。音楽によって僕達が「昔」に置き忘れてしまった何かを取り戻せるならば。

 「THESE DAYS」を聴くと、風が静かに草原を揺らし始める風景を、僕はいつもイメージする。開放的だけど、何処か切ない景色だ。そして僕はその真ん中に立っている。

2001年8月 8日

寂しいのでR.

 今は8月8日。会社の中央研修センターに、僕はいる。
 東京の都心はおろか、地元の商店街からもここは遠く離れている。木々に覆われたセンターの敷地内はひどく静かで、少し現実離れしているくらいだ。無数のセミの鳴き声だけがひどく無機質に鳴り渡っている。

 コンピュータウイルスが流行っているらしく、会社のサーバーは一様に死んでいて、インターネットをさすらうことが出来ない。外の、向こう側の世界と切り離されてしまったみたいだ。

 新しい相棒パソコンを連れて来たけれど、いまいち何かを作ろうという気が起こらない。いや、創作意欲どころか、何かをしようという気にすらなれない。ハードディスクに落とし込んだラブサイケデリコを鳴らしっぱなしにしながら、ひたすら雑誌を貪り読んでいるだけだ。


 僕は今、寂しさにどっぷり浸かってしまっている。大好きな主人に捨てられた子犬のように。


 「独りでいる時間が必要だ」と言い、実際、今まで恐ろしいくらいの時間を独りで過ごしてきた。


 「おまえは・・・おまえが思っているほど強い人間ではないんだ」と、闇の向こうから誰かが呟いている。

2001年8月 9日

バーズアイ

現状をブチ壊してでも進もうとする意思と、
激しい向い風に耐えることのできるタフな心。
そして、険しい空の道をむしろ楽しみ、笑い飛ばせる程の姿勢。

完璧に持ち合わせている必要はない。全然ない。
頭の片隅にでもそっと留めておこう。

鳥の目を手に入れよう。
空高く舞い上がり、地平を見渡そう。
自分の存在なんてあまりにちっぽけだ。
辛いのは自分だけじゃない。

翼を羽ばたかせ、風を切ろう。
心の赴くままに、自由に飛び回ろう。